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●大庄元社長・平辰さん(2008年7月5日時点の記事)

平辰さん

大庄元社長・平 辰(たいら たつ)
1940年、新潟県生まれ。28歳で焼き鳥店を開業。75年からチェーン展開を開始し、900店以上のグループに育てる。著書に「お母さんありがとう」。
1960年・・・日立製作所入社
1962年・・・友人と割り箸製造会社を起業
1964年・・・詐欺にあって退社、義兄のレストランの店長に
1968年・・・焼鳥屋「とき」を開くが不入りに苦しむ
1971年・・・居酒屋を開店、板前確保に苦心
1973年・・・「庄や」1号店を開店
1975年・・・独立制度を設け、社員の独立を奨励
1994年・・・悩んだ末に、東証に店頭公開
1999年・・・一部上場
2008年・・・現在

■自分の店なら頑張れる
「庄や」「やるき茶屋」などの大衆料理店グループを率いる平が、初めて開いた飲食店には、まったく客が入らなかった。 「店を開けばお客さんは入るものだと思っていたけれど、全然だめでした」

高校を出て東京の大企業に勤めたが、残業と満員電車が嫌になって退社。いくつかの仕事を経た後、東京・大田区に焼き鳥店を開いた。
味には自信があったが、客は来ない。残った焼き鳥を持ち帰って自家消費する日々から脱却するため、思いつく限りのことをやった。

仕込みを終えた午後、銭湯に入り、居合わせた客の背中を流しながら自己紹介すると、風呂帰りに寄ってくれる客が現れ始めた。
駅前では手製のビラを配り、店の前の通りを端から端まで掃除した。
「掃除は効果がありましたね。地元の商店街の人たちが、仲間として支えてくれました」

半年ほどで軌道に乗り、ここでためた資金をもとに、人を雇って居酒屋を始めた。順調に客は入ったが、今度は逆の悩みを抱えることになった。
「あまりの忙しさに、板前さんたちが『やってられるか』と怒って出て行ってしまった。彼らは仕事には困らないので、店のために頑張ろうという気持ちになってくれないんです。

店は繁盛しても、従業員が居着かない。どうすれば定着してくれるのか。
調理師たちと話すうちに、彼らが自分の店を持ちたがっていることに気づく。それならと社員の独立を支援する制度を作った。
「最初のうちは『どうせ社長の身内だけだろう』と社内でも半信半疑の人が多かったようですが、公募で入社してきた人が店長になってから、みんなの目の色が変わった。

部下を育てて独立させた店長の給料を上げる制度も作り、グループは拡大していった。
だが、店を増やすには資金がいる。「持ち株が値上がりすると、幹部が出て行くよ」との知人の忠告に悩みながらも株式を公開したのも、拡大のための資金作りだった。

■地方にも帰したい
「庄や」のスタートから35年、今やグループの店舗数は1000の大台に近づきつつある。拡大路線にはいつか限界が来るのでは、という問いに、平はこう答える。
「うちの元店長で、東北の実家に戻り、畑仕事の傍ら、近所の集会所代わりの店を開いた人がいる。
地方には、後継者不足に困っている農村や漁村が多いですから、そんなふうに人を帰していきたいんです」
佐渡の自然の中で生まれ育った平にとっては、ごく自然な発想なのかも知れない。
敬称略(片山一弘)(2008年7月7日 読売新聞)
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■自分の周囲の環境を整備していったことが足がかりになった
「「庄や」「やるき茶屋」などの大衆料理店グループを率いる平が、初めて開いた飲食店には、まったく客が入らなかった。「店を開けばお客さんは入るものだと思っていたけれど、全然だめでした」

高校を出て東京の大企業に勤めたが、残業と満員電車が嫌になって退社。いくつかの仕事を経た後、東京・大田区に焼き鳥店を開いた。味には自信があったが、客は来ない。残った焼き鳥を持ち帰って自家消費する日々から脱却するため、思いつく限りのことをやった。

仕込みを終えた午後、銭湯に入り、居合わせた客の背中を流しながら自己紹介すると、風呂帰りに寄ってくれる客が現れ始めた。駅前では手製のビラを配り、店の前の通りを端から端まで掃除した。 掃除は効果がありましたね。地元の商店街の人たちが、仲間として支えてくれました」

平 辰さん、いろいろな経験を経て、28才で自分の店を持つようになった。そこで、お客様に来てもらうために!ということを相当苦労したようだ。その打開策が商店街の掃除であったということだ。

ここにポイントがある。 その平 辰さんの運命式を見てみよう!

■平 辰さん
タイプ9-14:人を大切にして人の和と人の輪を中心として、知識情報を集め、細かく知的に気配りするタイプ

<平 辰さんの運命式>
 7  6 13
 2 14 12
 9  8 13

<平 辰さんの流運>
20 15 10 16 11 15 10 16
20 17 12 16 11 17 12 16

平 辰さんの運命式を見てみると、この人は結構悩むタイプであることがわかる。
しかも真剣に悩むのである。それに意外と細かい。
良いところは人とのグループをつくったり、人を組織化したりというのは向いているということだ。

そんな平 辰さんが、安定した職業を辞めて、いろいろと試行錯誤をはじめるようになったのは、彼の仕事運の影響が大きい。
どうしても、この仕事運では人に使われるのは我慢できないのである。

自分がリーダーにならないといけないということになるから、結局何か起業をしなければならない方向にどうしてもなるのである。

28才で焼鳥屋を開業し、それが足がかりになっていくのであるが、その時に店を軌道に乗せていく集客に苦心したというのだが、ここに足がかりのポイントがある。

それは何だというと、ひとつは平 辰さんは真剣に考えて知恵を絞るタイプであるということだ。ここがポイントのひとつ。
次に、彼の流運を見てみると、ちょうど30才くらいまでは、周囲の状況や環境によって左右される運勢を持っていることがいえる。

だから、ここでうまく成功するには環境や周囲の状況を変えなければならないということになる。それに気がついたのだ。
たぶんいろいろとやっている内に細やかな知恵の働きがそれに気がついたのではないかと思う。

だから、彼がやったことは、
★「仕込みを終えた午後、銭湯に入り、居合わせた客の背中を流しながら自己紹介すると、風呂帰りに寄ってくれる客が現れ始めた。駅前では手製のビラを配り、店の前の通りを端から端まで掃除した。」★

これは良い効果を上げるのです。自分のもっている運勢を上手に利用した結果ということになるからです。もちろん、この時の仕事数16は成就数ですから、この環境整備が運勢的によかったのはいうまでもありません。

◆自分の店を持ちたいというのが社員の願い
「半年ほどで軌道に乗り、ここでためた資金をもとに、人を雇って居酒屋を始めた。順調に客は入ったが、今度は逆の悩みを抱えることになった。
「あまりの忙しさに、板前さんたちが『やってられるか』と怒って出て行ってしまった。彼らは仕事には困らないので、店のために頑張ろうという気持ちになってくれないんです。

店は繁盛しても、従業員が居着かない。
どうすれば定着してくれるのか。調理師たちと話すうちに、彼らが自分の店を持ちたがっていることに気づく。それならと社員の独立を支援する制度を作った。
「最初のうちは『どうせ社長の身内だけだろう』と社内でも半信半疑の人が多かったようですが、公募で入社してきた人が店長になってから、みんなの目の色が変わった。」

集客のポイントができてくるようになると、次は内部の問題になってくる。
それがだいたいの企業がたどっていく道だからなのだが、仕事の内容が飲食ということであるから、問題がある。
それは、特殊な技能の問題だ。長年の修行で築いた板前の腕である。どんなに頑張っても、自分の努力が報われないんだったら、誰も頑張りはしない。

人が頑張るには、その人なりの頑張る理由というものがある。この業界では、板さんの多くが「何時か独立したい」というのが夢なのだ。

ここで、平 辰さんの知恵の絞りか違うまい。
それは運命式がグループ力をもっているから、うまく人の輪を使った方がいいということだ。
そこで、従業員の聞き取り調査をした。そして、自分の運命式の持つ知恵を絞ってみたのだ。

そこで企業の目標を外部と内部に分けて考えているということなのだ。
内部の目標をしっかりと実現することが外部の目標につながるようにしたということだ。その内部目標が「社員が店を持つ」というようにシステムを変えたということなのだ。
こうすることで、社員に力が出てきた。ちょうど30才以降の流運は目的指向型で運勢がでるようになっている。


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そういう意味で、歴史上の人物を研究することは、自分の人生にとって価値あることになるはずです。

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そういう人々の公共の奉仕の精神は、災害時などで多くのボランティアの方の参加を見ていると感動することが数多くあります。

そんな中でやはり何かを成し遂げる人やリーダーシップを発揮できる人がいます。
そのような人々もやはり人生のお手本になる人だと思います。