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サッカー日本代表監督・西野朗さんはどんな人

2018年ワールドカップ
サッカーについて、詳しく語るほど知識はないのですが
それでも、ワールドカップの西野采配には皆さんが一喜一憂振り回されてしまっていたのではないでしょうか?

 

西野監督は、選手時代も監督時代もやはり天才的な働きをしていることは誰もが知っているところです。
日本代表監督に西野監督デビューは、2018年4月7日、ヴァヒド・ハリルホジッチが突如として日本代表監督を解任されたところから始まります。

 

これでサッカー業界凄いところだなという感覚になりました。同時に、2ヶ月間で本当に大丈夫なのかと心配したのは皆さん同じではないでしょうか?
その西野監督がワールドカップでは刺激的な、これぞサッカーといわんばかりの采配を示してくれました。

 

更に、日本とポーランド戦ではご存知のように賛否両論の采配となりました。これで、ますます西野監督がどんな人なのかということに興味が湧いてきました。

■サッカー日本代表監督・西野朗さんの運命式は?
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2018年4月7日、前任の監督が解任され、西野監督が誕生した瞬間である。この西野朗監督の運命式を判断してみよう! 
ここでの鑑定は、西野監督のサッカーについてではなくて、西野監督がどんな性格をしていて、どんなタイプで、どのように人との関係を築いているかなど、そのメンタリティを観るものですから、サッカーの可能性を探るものではありません。

 

●西野朗監督
<西野朗監督の運命式> 

タイプ17-28:自分に対する結果や形、スタイルを中心として、策戦的に思考するタイプ

18 17 27
  7 28 21
17 11 22

 

★西野監督の流運(運勢の流れ)も出しておきます。
15歳まで
60歳~  30歳まで 45歳まで 60歳まで
26 22  15 15   17 13   15 15
21 21  14 14   12 12   14 14

西野監督は何故策戦的なのか?
その人心掌握術はどんなものなのか?そういうことをこの運命式の中から解明してみたい。

 

★西野監督は信念型の策戦家!

先ず西野監督の運命式を見てみると、心霊数17、本性28となっていることから、自分の価値観や考え方がはっきりしていて、その信念に基づいて策戦が練られることになる。


本性28はそういう意味では、相手も自分もよく見て何をどうすればいいかを方法論を判断できるといえる。

ここで面白いことは、仕事数が27であるということ。
これは、心霊数17から見ると、面白いことにとても直感的であるといえる。
しかも本性が28であるということは、策戦家ですが明るく大胆ということもある。

 

★ここはもう少し整理して解説

<基本は心霊数17の信念と本性28の策戦性>
西野監督のこれまでの養ってきた考え方や価値観が中心となって、そこに作戦的な思考がプラスされるということになる。


これが基本となって、いろいろな指示が出てくることになる。

<味付けが周囲にバラエティにある>
この基本を元に、仕事数が27で結果指向型であるということは、結果に執着するという傾向が強いのである。


この時に、ただの信念型かというと、ふつうは理屈っぽいのだけれど、実は直感が働くのである。この直感が判断を左右することになる。

もう一つここでこの基本的なパターンに味付けをする役割がある。
それは愛情数22の影響である。
これは時として決定打を放つことがある。


必要とされ期待をされればされるほど力を出すが、自分が必要とされてないと感じた瞬間に力を失うことになる。
そんな落差を演出するのが愛情数の影響です。
極端なんですね!

実績をwikipediaで見ると、サッカーですから実績次第ですが、


柏レイソル時代
2001年には、ユ・サンチョルが横浜Fマリノスから加入したが、優勝争いに加わる事ができず1stステージは6位に終わった。1stステージ終了後に成績不振を理由に解任された。

 

ヴィッセル神戸時代
2012年5月19日ヴィッセル神戸の監督に就任。しかし、同年11月8日成績不振により解任。

 

名古屋グランパス時代
2014年シーズンから名古屋グランパスの監督に就任。2シーズン指揮を執ったが好成績を残せず、内容を含めチームは停滞。2015年末、契約期間満了により退任。

もう一つの味付けがある。
それは、本性の28である。ここは策戦的な思考ができるのであるが、実は細かくないのである。どこかで見切ってしまうおおらかさや明るさがある。
それが、西野監督の魅力にも一役買っている。

<活躍はガンバ大阪時代が多い>
どうしてか?
そこには隠れた秘密がある。
45歳から60歳くらいまでの流運を見てみると、心霊数も愛情数も14になっている。この時期がガンバ大阪の時代とほぼ一致する。

この時に多くの実績を出している。


wikipediaによれば、

ガンバ大阪時代
2002年よりガンバ大阪の監督に就任。Jリーグ開幕以降タイトルと無縁だったクラブを上位陣に押し上げ、就任4年目の2005年にG大阪と自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成し(2005年J1最終節)、2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2006年は終盤まで、浦和と優勝争いを展開するも、最終節での直接対決で敗れリーグ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝を達成し、3月3日の大宮戦で、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成(内訳:柏 67勝、G大阪 83勝)。

 

2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝のアデレード・ユナイテッドFC戦では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げた。更に、天皇杯優勝を達成し、国内3大タイトルの全てを制覇した。またこの年、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録(トニーニョ・セレーゾ 鹿島監督)を更新した。


2009年12月5日の千葉戦で、J1通算200勝を達成。さらに、この年の天皇杯を制し、天皇杯連覇を達成した。

 

2010年は開幕前からケガ人が相次いだ影響などにより、前半戦は絶不調に陥るが、後半戦は持ち直し、リーグ2位に押し上げる。しかし、天皇杯3連覇を逃し、

 

2006年以来4年ぶりにシーズン無冠に終わった。就任10年目で迎えた2011年も無冠に終わりガンバから同年限りで契約満了(事実上の解任)を通告された。

 

心霊数14、愛情数14の効果
ここに両方に14があることで、西野監督にとっては人=選手が全てということになる。選手とのつながり、心霊数14は選手との関係性においては人情的なつながりをしっかりと作るように心がけるし、愛情数14は選手から監督ではなくて人間的に、人情的に愛されることに喜びを感じて、監督である前に人間として愛されることに生き甲斐を感じるということになる。

このスタイルが西野監督になっていく。
この人間中心的なところに、味付けが加わる。


<本体の人気数18の味付け>
ここに18があると、人に対する思いやりが加わる。思いやりというのは、どのくらい選手のことを1人1人考えているかということである。しかも心の内面を見つめることができるということにもなる。

 

ここまで見てくると、西野監督が何故あそこまで選手との距離感が近いのかという理由が少し分かったような気がする。

もう一つ、西野監督の策戦の妙はどこから来たのでしょうか?もちろん天才ということもありますが、この才能に刺激を与えたのはオランダのヒディンク監督だといわれています。


選手交代に策戦の奇策があふれていました。

<日本代表監督になってからは>
それでは、2018年日本代表監督になってからは道なんだろうか?
2015年からの西野監督の流運を見てみると、心霊数も愛情数も21となります。これは、とても情熱的な一途な力強さを持つことになります。情熱的な目的指向になってきます。
更に仕事数が22となり、あえて十字架を拾う運勢に変わります。

 

<日本代表監督になってワールドカップ3戦の指揮>

◆これまでの分析を本田圭佑さんがこんな表現をしています。
本田圭佑が独自視点で分析 西野日本の「強み」とは
[2018年6月26日21時6分]

 サッカーワールドカップ(W杯)日本代表MF本田圭佑(32=パチューカ)が、西野ジャパンの強みを分析した。

 

 26日は、1次リーグ第3戦のポーランド戦(28日、ボルゴグラード)に向けて冒頭15分を公開した練習で汗を流した。1次リーグは2試合を終えて1勝1分け。ポーランド戦は引き分け以上で1次リーグ突破となる。

 

 本田は、ここまで一緒に戦ってきた西野朗監督について「西野さんのタイプが今のところ2試合に表れている。タイプとして受け入れること、人の意見を受け入れることに西野さんの強みがあると思っている」とした上で「そのことと、2018年のメンバーに(自分の意見を)提言できる選手が多いというのがマッチしている。

 

西野さんのタイプと2試合(の結果)が形に表れた評価すべきところ」と独自の視点で話した。

 監督と選手の融合でつかんだ2勝。1勝もできなかった14年の屈辱も無駄ではなかった。

 

 「14年からそれぞれがもう1回出て結果出したいという思いで準備してきたと思うし、結果的に2試合悪くない形で目に見える形で表現できて、14年の時のやりたかったことをたまたま西野さんがやっているなという印象。戦い方として、特にセネガル戦はまさに14年W杯で僕らが目指した、僕がずっと言っていた自分たちのサッカーというところが体現できた戦い方やったんじゃないかな、と思う」

 

◆天下分け目の第3戦(ポーランド戦)
このポーランド戦ほど世界の評価を二分した戦いはないと思う。

▲西野監督が決断したポーランド戦での『2つのギャンブル』を解説
めざましテレビ芸能スポーツ2018年6月29日 金曜 午後0:15

FIFAワールドカップ、日本代表の第3戦、ポーランドとの決戦は、惜しくも敗れたが、決勝トーナメント進出を決めた。

 

警戒していたポーランドのセットプレーによる失点。
日本は引き分け以上で決勝トーナメントへの進出が決まる状況の中、1点を取らなければならなかった。
だが、同時間帯に行われていた「セネガル対コロンビア」の試合で、コロンビアが先制したことで状況は一変。


日本はこのままいけばフェアプレーポイントの差で決勝トーナメント進出が決まる。
終盤は攻めずにパスを回して時間を稼ぐプレーにスタジアムからブーイングも沸いたが、コロンビアが1-0で勝つという想定のもと、無理な攻撃をせずに守りに徹した日本。


この西野監督による決断がどれだけ難しいものだったのか、元日本代表の永島昭浩さんが解説する。

先発メンバーを6人交代
このポーランド戦の中で、永島さんは「西野監督には2つのギャンブルがあった」という。


1つ目のギャンブルは、先発メンバー6人を代えてきたこと。
「怪我や疲労、累積警告などさまざまな理由がありますが、(6人の交代には)本当に驚いた」という永島さん。

 

これは結果的に成功だったのか、失敗だったのかについては「前半から(交代した)6人の問題ではなく、スムーズにボールを運ぶことがなかなか上手くいかなかった時間帯が多かった。そういう意味では、攻撃よりもしっかりとした守備を全員が意識した時間が多かった」と分析。

 

乱れたパス回しや、ゴール前にフリーでシュートさせてしまった後半14分の失点は大きな反省点で、この失点によって選手たちの精神的なダメージにもつながったという。

負けているのに"攻めない"決断
2つ目のギャンブルは「負けているのに"攻めない"決断」。


ポーランドに追いつかないと決勝トーナメントに進出できないという状況に追い込まれ、攻める必要があった時に投入された乾貴士選手。

この交代について永島さんは「チームに攻める必要があるというメッセージを与えた」と話す。

 

攻めるために乾選手を入れたが、同時に行われていた「セネガル対コロンビア」に動きがあり、コロンビアが先制したことで、勝ち点、得失点差、総得点がセネガルと並んだが、フェアプレーポイントでは日本がセネガルを上回っていることで、決勝トーナメント進出が見えてきた。

「そこで西野監督は、ポーランドに追加点を取られたら、得失点差でセネガルを下回るため、攻めのリスクをやめた」と分析した。


コロンビア頼みとなったことで、長谷部誠選手を投入し、「自分たちの点数どうこうではなく、コロンビアがこのまま勝ってくれ、という決断を選択した。ある意味ギャンブルです」と話した。

西野監督「厳しい選択でした」


リスクのあるこの決断を西野監督は「厳しい選択でした。万が一、という状況はこのピッチ上でも考えられましたし、他会場でも万が一があるわけで、最終的に自分がピッチ上に送ったメッセージは、このままでいいという選択。選手たちはそれを全うした。


いかなるブーイングにも負けずに、状況をキープした。私のメッセージを忠実に選手たちを遂行してくれたと思いますし、あの状況を作ったのは、選手たちではなくベンチワークだった。これは、間違いなく他力を選んだということで、ゲーム自体、負けている状況をキープすることで、自分やチームそれも非常に納得がいかないというか、本意ではない選択をしている。ただ、ステージが上がれた、そこだけが救いですね」と振り返った。

 

会見からもさまざまな葛藤があったことがうかがえるが、永島さんは「決断する時間がない中で、コロンビア頼みでしたが、しっかりとそれを選択して、『長谷部』というカードを切って、長谷部選手にしっかりとゲームをコントロールしろと。これは選手と監督の信頼関係があらわれた一面だったのかもしれません」と分析した。
(「めざましテレビ」6月29日放送分より)

 

★ポーランド戦は西野采配の真骨頂

天下分け目のポーランド戦ですが、この西野采配が何故真骨頂なのかというと、これまでの積み重ねの総合戦であったということです。

これを運命式的に解説すると、
これまでの流運の14の運勢を積み重ねてきた選手との人間関係の土台の上に、流運の運勢は21の劇的に情熱的目的型に代わりました。


この時から、西野監督はワールドカップの目的をベスト8以上に絞っていたはずと思う。
それが心霊数17の信念になり、本性28の策戦へとつながります。
当然結果に執着する仕事数27は、西野監督にとっては既定路線のはずと思います。


これまでの選手との信頼関係を土台に計算 をしながら、自分の策戦を変更することなく、変化する情勢に対しては、直感力で勝負することにして、西野監督は、この時の心霊数21の目的を見失うことなく、仕事数22の十字架を背負う自分の運命に忠実に逃げないで挑戦する道を選択したということです。


それが、自分の運命式に忠実であった西野采配であったということです。
運勢のある人、リーダーはいい運命式を持っていると同時に、自分の運命式の運用にとても素直であるということです。
自分に素直であるということが、運勢を引き寄せていると思います。
だから、その評価が上がってきています。

 

●まとめ(この評価がものがったています)

西野監督、W杯後も代表監督続投の可能性 手腕評価
[2018年6月29日4時56分]
<ワールドカップ(W杯)ロシア大会:日本0-1ポーランド>◇1次リーグH組◇28日◇ボルゴグラード

 日本代表の西野朗監督(63)が、W杯ロシア大会後も引き続き、日本代表の指揮を執る可能性があることが28日、分かった。

 

 4月にハリルホジッチ前監督の電撃的な解任を受け、技術委員長から監督に。W杯まで約2カ月半、実質的なチームの活動は約1カ月という中で、1次リーグを突破した。任期はこのW杯までとなっている。

 

 日本協会は短期間でチームを立て直し、1次リーグを突破した手腕を評価。引き続き指揮を執ることになれば、6度目W杯出場の日本が大会後も監督を代えない初めてのケースとなる。1次リーグ初戦でコロンビアを2-1で下し、セネガルとは2-2で引き分け、2度リードされたが追い付く勝負強さを示した。思い切った選手起用など、勝負どころを読む、徹底した采配が評価されている。

 

 日本代表監督を推挙する日本協会の技術委員会は、5月の会議で次の監督選定の要件などを話し合った。日本人監督を推す声があり、すでに候補として20年東京五輪に向け同世代のU-21(21歳以下)日本代表の森保一監督のA代表兼任案が浮上。その森保監督も、西野監督のもとでA代表のコーチを務める。このまま西野-森保体制が続けば、継続的な世代を超えた強化も可能になる。

 

 技術委員会の中には、この大会の結果を受け「続投の流れになるだろう」との意見もある。何より、ハリルホジッチ前監督を解任し、後任に西野監督を据えた日本協会田嶋会長の指揮官に対する信頼が厚い。同会長は去就については語らなかったが、1次リーグ突破を最優先させたなりふり構わぬ采配を「度胸ある、素晴らしい采配」と高評価した。新体制は7月のW杯後の技術委員会をへて、9月の理事会で正式に新体制が決まる見込み。日本代表は2大会ぶり5度目の優勝を目指すアジア杯(来年1月5日開幕・UAE)を控える。
実際は、西野監督は代表監督を今回限りという約束をしていた。

 

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カーリング女子銅メダルの秘密(2018年平昌オリンピック)

◆カーリング 女子

ピョンチャンオリンピックで脚光を浴びて人気が出たのは、カーリングですね!
そのカーリングが何故面白いかということなのですが、それは競技の持つ性質というか模様です。まるで将棋や囲碁のように、相手をとったり陣地を追い出したりなど戦略や作戦が息詰まる戦いぶりが選手にも観客にも分かるからです。
そのカーリングで銅メダルを取ったのが日本のチームです。


重要な決め手は、技量もさることながら人間性がいっぱい出ることがいえます。特にチームワークはとても大きなウエートを持っています。
それで、今回はこの観点からカーリングチーム人間性を見てみたいと思います。


★その前に先ず各選手の運命式をみて、全体像をみてみたいと思います。

チーム全体の人間関係の構成は、LS北見の創設者であり、リーダーでもある本橋麻里選手を中心として上手くまとまっている。

 

自己主張よりも相手を気遣い、思いやるという人気運を持った選手がほとんどで、更に性格的には柔軟性を持った選手が多くいる。

人気数だけみていくと、本橋選手が28、藤澤選手が38、鈴木選手が29、吉田選手が27と思いやりや気遣いできる選手が多いことが分かる。

 

それに性格的には、本橋選手は心霊数23と本性39でリーダーとしての強さと知的な鋭さを持っている。藤澤選手も鈴木選手も吉田夕梨花選手も本性が32でどんな状況でも柔軟に対応できる能力を持っている。

だから、このチームは本橋選手の元にまとまりやすいといえる。

もう一つ、チームの中心となるのがスキップという役割の藤澤選手なのだが、藤澤選手がキーパーソンであることには代わりはない。


それでは、藤澤選手はどんなチームにしようとしているのかということである。それは、彼女の考え方によるのですが、簡単に言えば「考えるカーリング」ということになる。
強気の攻めるという方向性は変わらないのであるが、その中で考えるカーリングというのは、藤澤選手の運命式をみればよく分かる。


それは、本性42で柔軟性がありながら、心霊数26、仕事数38、人気数38という具合に戦略と策戦という方向に運勢が向かっている。
このことは、考える戦略性の強いカーリングというスポーツに最も適しているといえる。


ピョンチャンオリンピックでの銅メダルというのは、偶然に作られたものでもない。それらはチームの奇蹟ともいえる人間のバランスの上で成り立っているといえる。
だから、カーリングというのは、人間性が表れるし、その戦略や作戦をみると観客の方も一緒に酸化できるので面白くて楽しくてしようがないといえるのである。

 

★本橋麻里選手
<本橋麻里選手の運命式>

タイプ23-39:リーダー的自分を中心として、知識や情報を元に知的に気配りするタイプ

28 21 32
12 39 27
23 18 34

チームのリーダーとしていい運命式をしています。先ず心霊数が23でリーダー型の運勢です。本性は39で知的で細かいところまで目が行き届きます。
特質ところは、仕事数が32でアイデア創造型というところです。
これは様々な工夫ができるので、競技についてもチームについてもいい結果を導くことができると思います。

 

★藤澤五月選手
<藤澤五月選手の運命式>

タイプ26-42:戦略的思考を中心として、柔軟に対応するタイプ

38 34 38
22 42 20
26  8 24

チームでスキップをつとめる藤澤選手は、「考えるカーリング」を目指している。それは、まさに彼女の運命式通りである。心霊数が26で戦略型。仕事数も38で作戦型。人気数も38で相手のことを考える運勢。
本性は42でどんなことにも対応する柔軟型。
これはスキップとして、多くの戦略や作戦の指示を出すには、ぴったしの運命式といえる。

 

★鈴木夕湖選手
<鈴木夕湖選手の運命式>

タイプ18-32:戦略的思考を中心として、柔軟に対応するタイプ

29 17 20
25 32  7
18 15 19

鈴木選手も心霊数18で藤澤選手の考えるカーリングにマッチングでき、更に仕事数20でアイデア工夫型。人気数は29で人に対して気遣いができる。
このような運命式だから、藤澤選手とも馬が合うといえる。

 

★吉田夕梨花選手
<吉田夕梨花選手の運命式>

タイプ27-32:自分に対する結果や形、スタイルにこだわりつつ柔軟に対応するタイプ

29 11 25
24 32 19
27 21 26

吉田百合か選手は心霊数27ですから自分の考えや価値観がしっかりしている。それがみんなとマッチングしてるときはうまくいく。でも仕事数は25で結果追求型ですから結果にコミットすることができ、本性は32で柔軟に対応できる。人気数も29で人に気遣いができるということは、チームとして団結できる要素をいっぱい持っているといえる。

 

★吉田知那美選手
<吉田知那美選手の運命式>

タイプ30-35:リーダー的自分を中心として、策戦思考するタイプ

27 11 26
22 35 20
30 24 29

吉田知那美選手は、心霊数が30ですからチームの中では、本橋選手と同じようにリーダー型である。だから自分が主体的に何かを起こすエネルギーを持っている。本性は35なので策戦を考えるというのは常に自然に行っていることである。仕事数も26で策戦を考える仕事数ですから、チームのコンセプトである考えるカーリングというところでは、ここも藤澤選手と上手くマッチングできるといえる。人気数は27ですから、しっかりとした形ある人間関係築くので結んだ関係はなかなか崩れない。

 

★まとめ
このようにみていくと、チーム全体が1つの和のようにまとまっていけるということが分かる。互いが上手く柔軟に対応しながら、「考えるカーリング」で1つにまとまる。そんなことが上手くできている。


また、その重しになっているのがリーダーの本橋さんだ。リーダーシップと相手を傷つけない気配りと、問題解決のアイデアを持ってちゃんと対応できる。
LS北見がチーム力を見せることができた理由は、彼女たちの人間関係の良さにあるといえる。

 

●自分の滑りでメダル目指す(2010年3月の時点の記事)

狩野 亮(かのう・あきら)さん
バンクーバーパラリンピック アルペンスキー代表
1986年北海道生まれ。2008年岩手大学を卒業、エンターテインメント企業のマルハンに入社。

 

09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。ワールドカップカナダ大会の滑降3位。
  車イス・スキーヤーとして、4年前のトリノパラリンピックに出場。回転で27位という成績に終わり、一度はどん底に突き落とされた。バンクーバーでは、その雪辱を期す。「自分の滑りを出し切ることができれば、メダル争いの自信はある。これまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」と、来月12日から始まる大会に向け意欲を燃やしている。


父親がスキーの指導員をしていたので、3歳からスキーを始めました。小学校3年生で事故に遭って下半身不随となり、それまで趣味程度だったスキーを競技として始めたのです。

 

 前回のトリノでは、自分の甘さを知りました。精神、肉体、意識のすべての面において次元が低かった。銀メダルを取った先輩を見て、「このままじゃダメだ。自分もメダルが欲しい」と痛烈に思ったのです。あの大会を機に、より真剣に競技と向き合うようになりました。そうした意味では、トリノがスタート地点で、今回のバンクーバーは通過点ですね。

 

 就職活動では、スキー競技を続けさせてくれる企業に入りたいと、自分で作った資料を130社以上に送り、思いをぶつけましたが、話を聞いてくれたのは、4、5社ほど。その中で、「情熱にひかれた」と私の思いを受け止めてくれたマルハンに縁あって入社し、パラリンピックに出場することになりました。

 

 日本の障がい者アスリートは、チーム独自でスポンサー探しをすることから、海外に比べて、トレーニングセンターなどの施設面、優秀なコーチといった人材面、それに資金面でもまだ環境は不十分です。そうした問題がクリアされれば、日本が世界最強のチェアスキーチームになれる可能性もあると思います。

 

 天性のものですが、私は色々な困難も「壁」と思わない性格。「何があっても、それが狩野亮であり、その人生だ」と思うので、常に「何が起きても受け入れる」という姿勢でいます。

 

 スキー競技という打ち込むものを見つけたお陰で、自分自身、成長させてもらい、人間も変わりました。自信もついたし、社会への目の向け方、内面の優しさというものが身につきました。

 

人は、何か一つ真剣に打ち込むことを見つければ、得るものは必ずある。まずは「前向きに、楽しく、とりあえず何でもやってみよう」という姿勢が大切だと思います。

 トリノから4年。出来る限りのことはやってきたので、自分がどう変われたか、滑りを見てほしい。すべてを出し切れば、必ず結果はついてくると信じています。(談)

(2010年3月2日 読売新聞)
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■人々が希望を持つのは、挑戦するという勇気

「バンクーバーパラリンピック アルペンスキー代表
1986年北海道生まれ。2008年岩手大学を卒業、エンターテインメント企業のマルハンに入社。09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。ワールドカップカナダ大会の滑降3位。」

 

こんな経歴を見れば元々スキーができて、恵まれた環境の人だったからだろうと誰もが考えます。でも、ハンディーを背負いながら、誰も理解してくれないような中で挑戦し続けるというのは凄いことなのです。誰でもできないことをやっているからこそ、多くの人は応援を惜しまないのです。そこに自分を投影するからこそ、熱が入るのです。

 

ハンディーと思っているのは自分自身かもしれません。多くのアスリートはハンディーではなくて挑戦課題と考えていると思います。
みんなが応援したくなるような、そんな狩野亮さんを運命式的に見てみたいと思います。

 

★狩野亮さんの運命式をみてみよう!

<狩野亮さんの運命式>

タイプ19-30:リーダー的自分を中心として、知識情報を集め、細かく知的に気配りするタイプ

21 20 29

10 30 20

19 10 21

 

狩野さんのアスリートとしての意志の強さはどこから来たのでしょうか?
小学校3年の時に事故で足が動かなくなってから、それでもスキーというスポーツに活路を見いだしたのは、単なる環境の性ですか?お父さんがスキーの指導員をしていたからできたということでしょうか?

 

環境を利用してでも自分の主体性で、自分の道を見いだす強さというのは、狩野さんが自分を創造していく中で見いだしたものだと思います。でも、その可能性は運命式の中にすでにありました。本性30の明るい性格と主体性、そして心霊数19の自己の分析をする情報と智恵です。

 

そして人気数21の人に対しての情熱性は、あまりにも一途な世界があります。決してアスリートの仲間に負けたくないという強い力は、運命式がもたらしたものです。


ただそれらを上手く使うことのできる自分を創ったところに、狩野亮さんの凄さがあります。

「就職活動では、スキー競技を続けさせてくれる企業に入りたいと、自分で作った資料を130社以上に送り、思いをぶつけましたが、話を聞いてくれたのは、4、5社ほど。その中で、「情熱にひかれた」と私の思いを受け止めてくれたマルハンに縁あって入社」

 

というところは、まさに狩野さんらしいということがいえます。現実に困難な状況というのは変わりません。でも、それを自分の天性のものとして受け入れるという明るさは、これも本性30の狩野さんの運命式だからです。
自分の人生観で、次のようにいわれています。

 

『私は色々な困難も「壁」と思わない性格。「何があっても、それが狩野亮であり、その人生だ」と思うので、常に「何が起きても受け入れる」という姿勢でいます。』


本性30はそれを受け入れる自信があるからです。また挑戦するという姿勢を常に持っているからです。それが凄いといえます。

 

こういう人はどんな境遇でも必ず成功を勝ち取ることのできる人だと思います。本性30の挑戦力、心霊数19の自分がどうすればよいかという智恵と情報の分析力を持っているからです。ただ、あまり自分を気にしすぎるとそれが負担になってしまいます。

オリンピックでの成績如何にかかわらず、その生き方そのものが希望を与えてくれます。

 

●・・・ひとこと・・・

人の価値は元々無限大の価値を持っています。それを有限にしてしまっているのも自分自身ということです。ただ人は自分を信じられないのです。自分を信じていないことが、自分自身の障害になっています。


実はどんな運命式でも悪い運命式というのはありません。問題はその運命式をどのように運用するかということなのです。
その運用には自分がどんな可能性を持っているかということを正確に知るということが必要になります。

 

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●野球もうどんも夢の実現

野球から讃岐うどんへとその職種の転換もビックリだが、何よりもその肩を使った仕事から今度は足を使った仕事へと移ることになるわけだ。そういう変化を上手く乗り切れる運勢を見てみよう!

 

★條辺 剛さん
<條辺 剛さんの運命式>

タイプ22-27:霊的な直感や霊的な影響力を受けて、自分の価値観、考え方の中で理解するタイプ

17 16 26

12 27 15

22 11 16

 

野球選手としては、怪我や故障で苦労をして大成はしなかったということだ。でも心霊数22は自分の中に物事を敏感に感じ取る感性だけは人一倍持っているということ。

ただ、それを上手く技術的に活かすには自分をコントロールするもっと柔軟性が必要であったと思うが、本性27は、残念ながら頑固にも自分のスタイルに固執したということである。

 

●戦力外通告からうどんへ

野球にかけてきた男がそう簡単に野球を止められるはずがない。相当試行錯誤して挑戦もしたことだろう!だからこそ、テスト入団の試験も受けた。しかし、酷使してきた体は思う結果は出してくれなかった。

 

そんな中での次への道は、同郷の先輩からもたらされた。うどん屋への転出だ。普通はそこで、野球選手のプライドにかけて全く違う世界への転出は難しいはずだ。過去の自分の経験が邪魔をする。誰でもそうだ。自分の持っている世界を全部否定したところへ行くことはなかなかできないものだ。

 

でも、それをやってのけたところに運命式の力がある。それは、條辺さんがまだ自分の感性を信じていたからだと思う。
條辺さんの場合は、心霊数22の自分の感性を信じるところから運勢が回転し始めるのだ。そこが原点になっている。

 

●足りないところは内助の功

夫婦で開くお店は、埼玉の奥様の実家の近くだそうだ。
奥様の條辺久恵さんの運命式を見てみよう。

★條辺久恵さん
<條辺久恵さんの運命式>

タイプ24-29:人情的な人のつながりの中で、知識や情報を元に知的に気配りするタイプ

26 16 19

21 29  8

24 13 18

奥様の久恵さんは、本性29でなかなか気配りができる頭のいい人だ。それに心霊数24で人情的で人とのつながりを大切にする。それに家庭数13は家庭ではなかなか強い人だ。

 

だから、相談相手になって欲しいご主人の剛さんには相談相手にはなるけれども結構手強い人だ。だからこそ、一つの事業を行う共同作業にはいい相手といえる。

でも、剛さんは本性27で頑固に自分のスタイルを守る人だから、食という分野ではこだわりが必要なので、味を守るという基本を通すことができると思う。

 

讃岐うどん 條辺 (2008年4月14日開店)
埼玉県ふじみ野市上福岡1-7-9
営業時間 7:00~15:00
定休日 毎週火曜日 休日の場合は営業して翌日休業
電話: 049-269-2453
最寄り駅 東武東上線上福岡駅東口

 

■羽生善治(永世7冠)さんと羽生結弦さんの運命式は全く同じ

2017年12月5日、将棋界初の永世7冠となった羽生善治さんの名前と羽生結弦さんの運命式を判断してみよう! 

●羽生善治さんと羽生結弦さん
<羽生善治さんと羽生結弦さんの運命式> 

タイプ26-31:パートナー型で目的指向を中心として、戦略的思考するタイプ

19 11 23
14 31 17
26 30 25

 

★羽生善治さんと羽生結弦さんの全体像
羽生善治さんは
もう将棋の申し子の様な人ですね!
そうとしかいいようがありません。
何故かというと、将棋のために生まれてきたような運命式の配列を
しているのです。それは戦略性と目的指向の一点です。

 

羽生結弦さんはフィギアという表情のアスリートとしては、その技術力の高さも凄いのですが、やっぱり目的に向かう戦略性というのが凄いのです。
ピョンチャンでの彼の発言は凄いです。


「まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言」
この強烈な目的に対する執着こそ必須です。

心霊数26-本性31-仕事数23
これは凄い!
目的が明確。戦略的思考。常にリーダーシップ。

でも、両方にいえることは
「孤独」と常に戦っているということです。
でも、それができるという強烈な仕事運を持っているということです。
これぞ、リーダーです。

 

羽生結弦選手は情熱大陸でこんな発言をしています。
「そうですねー、孤独ですよ、ホントに。まわりの環境っていうのが、自分の精神状態や肉体をすごく左右してくるから、それを遮断しないと自分が思っているパフォーマンスができない。ある意味で孤独にさせてもらいたい、むしろ」

 

★もう少しこの配列を解説します

<心霊数26の戦略性>
ここに26があるというのは、羽生永世7冠の場合は将棋という頭脳戦で相手に対する戦い方、戦略的な目標を明確に持つことができ、作戦を立てる能力に優れていることを意味する。


これは、常にどうするか!という策を考え続けるという芸術的なまでの思考の訓練をし続けるという習性の様なものである。

wikipediaによれば、こんなエピソードが紹介されている。


相手が悪手を指すと不機嫌になると言われており、羽生が勝利した第57期王座戦第2局ではまだ難解な将棋を投了した挑戦者の山崎隆之に厳しい言葉を投げかけたと言われる。このときの姿は『将棋世界』2009年12月号(日本将棋連盟)の観戦記にも「羽生には勝利を喜ぶ、あるいは勝利に安堵するといった雰囲気は微塵もなく、がっかりしたように、いやもっと言えば、怒っているようにも見えたからだ。」と記されている。

 

また、本人も「相手でも自分でも、どちらかが悪い手を指すと、もっとすごいものを作り出せそうなチャンスがなくなってしまった、ということですから。」と発言している

羽生結弦選手には、この戦略を立てるというところはどのように働いているのでしょうか?


金メダルを連覇したピョンチャンでの戦いは、羽生選手はこんな風にいってます。「作戦が大事」だと・・。その作戦とは「クリーンに滑るプログラム」なのです。
ショートで最初に飛んだのは4回転サルコウ。4回転ループより1.5点低い点数。でも、リスクを伴うジャンプよりも確実に飛べるジャンプで高得点を狙うことにしたのです。


これが「クリーンに滑るプログラム」なのです。
フリーの時も同じように、挑戦しました。
本当は怪我は完治していませんでした。痛み止めを飲んでの出場です。
体力がなくなる後半ジャンプの4回転ルッツは、意地でも倒れませんでした。

冷静に自分を分析し、戦いの中で自分をどのように表現するかを読み切り作戦を何度も立てて臨んだオリンピック。その結果こそ金メダルなのです。
羽生選手の言葉を再び
「作戦が凄く大事だと思っているのでクリーンに滑れば絶対に勝てる自信はある」

<本性31の持つ意味>
この本性というのは、自分の基本的な立場を立ち位置など全般的なことに影響を与えるのであるが、ここに31を持つというのは、自然体で自分の目的性を思考しているということである。自分がどこに向かおうとしているのかを常にチェックできると言うのは、決して自分を見失わないということでもある。

 

羽生善治永世7冠は
wikipediaではこんな発言をしている。
初タイトルの竜王を失った1990年の竜王戦七番勝負は、谷川3連勝の後に羽生が1勝を返し、最終的に4-1で谷川が奪取した展開であったが、角番で1勝を挙げた第4局は、入玉模様ではなく攻め合いであったにもかかわらず、203手という長手数の激戦であった。この一局のことを、羽生は「それまでは、昇級・昇段・タイトル獲得という上だけを見ていたが、初めて後ろ向きで対局したという意味で、(将棋観を変えた最も)印象に残る一局」

 

羽生結弦選手ですが
ピョンチャンの時はこんな風に証しています。
「どの選手よりも勝ちたいという気持ちが強くある」「どの選手より、ピークまで持っていける伸びしろがたくさんある」


「やっぱり僕は元、今は「元」って言えばいいのかな。元オリンピックチャンピオンなので、やっぱその、リベンジしたい...リベンジしたいって、オリンピックチャンピオンと言った後にリベンジしたいっていうのはおかしいですけど(笑)。
自分にとっては(ソチ五輪の)フリーのミスが、やはりここまで4年間頑張って強くなったひとつの原因だと思っているので、また明日に向けてリベンジしたいなという気持ちがとにかく強いです。」

 

これは羽生選手が強烈な目的指向を持っているということである。
怪我をした足と相談しながらなどというものではなくて、どんな状況であっても確実に目的を成し遂げるという強い決意の表れである。これがなければ偉業は成し遂げられなかっただろうといえる。

<仕事数23はどんな影響を持つか>
ここは仕事に対する姿勢をみますから、スポーツにしても将棋にしても取り組む姿勢が現れるということになります。
それでは23という数字はどんな影響を持つのでしょうか?
ここに23があるというのは、仕事面では何らかの分野で自分が一番になれる可能性を表しています。
そういう強さが備わっているということと同時に孤独とも親戚なのです。

 

羽生永世7冠は
wikipediaではこの辺面目躍如なところを見せている。
1993年12月24日の対谷川戦(第63期棋聖戦五番勝負第2局)において、序盤で4四の歩のタダ取りを許す△4二角、さらには、いったん敵玉に迫っていた7九のと金を、香車を取るだけのために2手をかけて△8九、△9九と「退却」させるという、将棋の常識からかけ離れた奇手を指した。売られた喧嘩に谷川が応じる展開の乱戦となり、さらに終盤だけで80手ほどもある激戦となったが、結果、羽生が勝利している。

 

羽生結弦選手は
多くを語っているわけではないが、その言動から仕事数23の矜持が見て取れる。それは、ショートが終わったときのフリーに望む彼の決意である。
「僕はオリンピックを知っていますし、元オリンピックチャンピオンなので」
「とにかくやるべきことはやってきましたし、2カ月間滑れなかった間も、とにかく努力をし続けました。その努力をしっかり、結果として出したい。」
これに勝る言葉はない。
まさに本物のオリンピックチャンピオンなのである。

★この3つの特性が一列に配列されると凄いことになる

まとめてみると、本性の持つ31の目的性と心霊数の持つ26の戦略性が相対的な関係を結ぶことで、目的を明確にすることで戦略的な価値を生み出し、戦略を立てていくとその目的性がはっきりと見えてくるようになるという、この関係性が相互に影響し合って、更に戦略性と更なる目的の高みをを目指していくことになります。


ここに仕事数23の持つ力が関わって、心霊数26と本性31の連合軍に対して仕事数23との相対的な関係で仕事数23が主体的な役割を演じることになる。
常に一番であり続ける。常にリーダーであり続ける。そういう力を自然に持っている。
それが戦略と目的性を強烈に引っ張っていくことになる。
まさにリーダーになるべくしてつけられた名前ということがいえる。
僕らも、こんな運命式にあやかりたいものである。
でも、それには多くの試練を乗り越えなければ実現はできないということである。

 

 

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星奈津美 渡部香生子 平井伯昌水泳コーチ
メンタルと技術そしてコーチ!

■メンタルと技術そしてコーチ

水泳の世界選手権で日本のチームは頑張っている。たくさん元気をもらえるのだが、メダルに届く人相でない人もいる。またこの選手権に参加できなかった人もたくさんいる。

この違いは何だろうかということです。

メンタルの違い?技術力?

そこで、メダルと表彰台に登った選手を見てみましょう!
どんな人がメダルに届いているのかということです。

 

★星奈津美(女子200メートルバタフライで金メダル)

スポニチには、次のような記事がある。
12年ロンドン五輪銅メダルの星奈津美(24=ミズノ)が2分5秒56で優勝した。五輪、世界選手権を通じ、女子200メートルバタフライでの日本人の金メダルは初の快挙となった。
・・・・


プールサイドでふらつき歩けなくなった。「何で体きついんだろう」。薬で安定していたはずの病が原因だった。リオ五輪を見据え手術を決断。同年11月に甲状腺を全摘出した。術後は2週間自宅安静し、1カ月足らずでプールに入れたが「練習に復帰する時も、不安はあった」。昨年末にすがる思いで門を叩いたのが“再生工場”だった。

何と彼女はバセドー氏病を克服しての金メダルであったのだ。

 

タイプ27-36:自分に対する結果や形、スタイルを中心として、知識や情報を元に知的に気配りするタイプ

●<星奈津美選手の運命式>

28 10 27

19 36 26

27 26 35

 

星奈津美選手の運命式からは、すごい主体性とかすごい自分意識とかそういうものは見られない。
心霊数27と仕事数27の感性や直感力などと同時に、心霊数27の自分に対するこだわりは凄いものがあります。
自分がこうならなければならないという常に強迫観念や思いこみと
それらを実績や形となって表さなければならない責任感を伴っています。

 

また、本性36はそれらを補うように知的な分析力やまじめさを持っています。
結果を出す仕事数27を持っているので、それを活かすことのできる心霊数27の考え方や価値観をどうやって広げるかということになります。
そういう意味では、よいコーチに出会えば自分を転換できる可能性を持っているということです。

そういうことでは、メダル獲得の背景には平井コーチに出会ったのはラッキーであるというよりは、それも運が強いということになると思います。

★渡部香生子(渡部香生子200平で金メダル・リオ五輪内定)

 女子200メートル平泳ぎ決勝で、渡部香生子(18=JSS立石)が2分21秒15で金メダルを獲得した。3日の200メートル個人メドレーの銀メダルに続く今大会2個目のメダル(日刊スポーツ)

 

<エピソード>
2012年4月の第88回日本水泳選手権の前に、渡部は「これだけ騒がれて、(オリンピックに)行けなかったら」と不安を漏らした。100mで代表になれず不安は的中したが、気持ちを切り替えて200m代表となった。

 

昨年12月の世界短水路選手権を終え、ドーハから休みなく米国の高地合宿先に移動した時だった。疲れもピークに達する中、現地で脈拍を測ってもらっていた時の態度が悪く、竹村吉昭コーチから「バカヤロー!」と初めてカミナリが落ち、号泣したという。それでも、「次の日にはケロッとしてたよ」と恩師が舌を巻くほどの強心臓。大一番での強さにつながっている。

 

●<渡部香生子選手の運命式>

タイプ29-40:人を大切にして人の和と人の輪を中心として、知識情報を集め、細かく知的に気配りするタイプ

31 23 37

20 40 25

29 17 28

 

渡部選手も主体性の強さでメダリストになったのではなく、本性40の周囲の人との人間のつながりの多様性の中に、心霊数29のバランスよく自分で整理できる高い知的な能力を持っているということにある。

 

それに結果にコミットメントできる仕事数37もある。その運勢を活かせる力とは、心霊数29と本性40の人の和と知識や知恵、情報である。

このバランスがとれているからこそ、メンタルの強さにつながり技術力の発揮につながったのだと思う。

 

エピソードからいえることは、切り替えの早さは知的な発想が豊かであるということになります。自分を気にしてしまうかそれとも他と比較しながら情報を整理して頭の方向性を変えるという作業は、一瞬にしてそれを行える訓練がなされているということだ。

★平井伯昌水泳コーチ

寺川綾、中村礼子らを再起させた平井伯昌コーチはどんな人なのだろうか?

<平井コーチのメソッド>

◆結果が出ない時こそ、視野を広げる意識を!

結果を残せる選手ほど、視野を広く持ち、あらゆることから貪欲に学ぼうとするので人間的成長が伴い、思考の幅が広がります。すると例えば、大事なレースで負けたとしても、落ち込んで自信を失うというマイナスな考えで終わらず、課題を見つけて「自分はまだ伸びしろがある」と喜ぶような、負けを成長に変えられる考え方につなげる場合もあるのです。私はこの視野を広く持つことがとても大事だと考えています。

 

●運命式から見るコーチ・平井伯昌
<平井伯昌コーチの運命式>

タイプ20-24:様々な自然、人間の環境的影響の中で、人の和と人の輪を作るタイプ

17  9 16

13 24 11

20 15 19

 

平井メソッドの中心にあるものは、やはり運命式に追うところが大きいと思う。
それは、心霊運20のどんなことでも受け入れるという懐の深さである。そして運命式のバランスは、本性24の人を拒否しないで人を連結するという特徴を持っているからだ。

 

これができるから、一度は全部受け入れながらそれらをうまく様々な人に連結して、結果を形作っていくということになる。

このようなメソッドは、平井コーチの人間性に寄るところが大きい。
そういう意味では、コーチとしてのとても優れた資質を持っているということができる。

 

●まとめ

結果を出すということでは、それに伴う人とメンタルと技術が連携してコミットできるということになる。そうであればこそ、自分の持つ要素を理解し運命式をどう使うかということこそ、自分の運の開発につながるということになる。

 

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織田信成さんは何故あんなに泣くのか?

まず織田信成さんをwikipediaから紹介してみましょう。
■wikipediaより参照
織田信成さん
        
大阪府高槻市出身。大阪府立阿武野高等学校卒業。卒業後は関西大学文学部英語英文学専修に進学。2011年3月19日に大学を卒業。4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学した。


祖父・重治、父・信義は大阪通管工業所の創業者。
母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた。

 

大変涙もろく、現役時代から人目憚らず男泣きするシーンが数多い。2005年のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流し続けている。

 

特に2005年のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親コーチの織田憲子が笑いながら信成を宥める姿が全国に大きく放映され、織田を一躍有名にした。2013年の全日本フィギュアスケート選手権でも、女子シングルの鈴木明子が28歳の最高齢で同大会初優勝を果たした際、織田は鈴木と対面した時に顔を覆いながら泣き崩れ、鈴木を笑わせた。

 

ソチ五輪の際、フィギュアスケート個人戦の男子シングルは、羽生結弦が日本男子で史上初の金メダルを獲得、他町田樹が5位、高橋大輔は6位と日本男子シングルは3選手共全員入賞を果たしたが、テレビ東京系列での放送においてコメンテーター担当の織田は、特にかつての好敵手であった高橋に話し掛けるも「もうちょっと…泣きそうになって、TV見てて…」と絶句、感極まり涙を流した(高橋は織田の男泣きに「俺泣かれへんやん」と思わず苦笑。

 

 

後方にいた武井壮が織田の両肩を抱いて慰め、萩原智子は織田の涙に貰い泣きしていた)。女子シングルでも、SP16位と大きく出遅れた浅田真央がフリーで3回転アクセルを成功する等ほぼノーミスの演技を披露、6位入賞を果たした際、自宅にて、テレビ中継を見ていた織田は泣き続けていた。

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◆織田信成さんどんな運命式?

タイプ33-38:リーダー的自分を中心として、策戦思考するタイプ

<織田信成さんの運命式>

29 23 32

24 38 14

33 15 20

<織田信成さんの流運>

13 9 1417 2018 1417
1013  914 1922  914

 

■織田信成さんの運命式の特徴
◆運命式は織田信成さんをどのように導いたか?

フィギアスケート界を代表するアスリートとして日本をリードし続けてきた織田信成さんはどんな運命式をしているのでしょうか?

 

織田信高系統の子孫として信長公の血を引く子孫である以上、なんか凄い人を連想してしまいますが、映像で見てみると人なつこくってすぐ感激して泣いてしまうというキャラクターのようになっています。

果たして本当にそれだけでしょうか?それだけで、フィギアスケート界のトップを維持し続けることができたでしょうか?


運命式は、凄い織田信成の世界を隠しています。
トップを走り続けるには、技術と才能と人間性、資質が問われるのですが、実は織田信成さんにはそれが備わっているのです。

 

★運命式から見たアスリートしての資質

運命式から読み取れることは、心霊数33で自分に厳しいひとで、よく自分を見つめ反省し、本性38でどうすればよいかという方策を考えて実行する力を持つということがいえます。

 

それと同時に、仕事数32でスケートでは創造性や工夫といった感性を持っていることから、常に自分を磨き上げるという可能性を持ち続けているといえます。

飲酒運転やスケート靴の紐が切れるなどの数々のアクシデントはどうして起こるのか?


それも彼の運命式が物語っています。彼にはどこかで自分の人生を無意味にしてしまう暗示が働いているのです。
これは避けて通ることができません。
でも、そのような試練から復活する力も天は与えたということです。

 

★織田信成さんはどんなひと?

見た目が人が良さそうで、人間的で好感が持てる人というのは、そういう印象の数字を持っているからです。また、プライベートでは、意外に早くから結婚します。それは彼の運命式で愛情数20が物語っています。

 

愛されたいんです。だから、愛されるためには何をしたらよいかということを、たぶん自然に考えているんだと思います。
性格的には結構男らしくて強いのにです。そのアンバランスが面白い魅力でもあります。

 

人気数29で人間関係的には結構人に気を遣って、気配りをして、細かく人物を見ています。そして人ともよく比較してどのように付き合うべきかを考えています。ただ何となく調子よく付き合っているわけではありません。自然に計算ができているところが凄いところです。

 

■織田信成さんはどんなときに泣いている?

「一番の課題は、何故そんなに泣くのか?」です。この答えは、運命式の本体だけを見ていてもよく分かりません。それは、彼の流運を見てみるとよく分かります。

悔し涙やうれし涙は自分の厳しさに対して出てくる涙です。


でも、それらを人前で涙を表現するというのはどういうことでしょうか?
「男は黙って・・・」ということではないのです。

その秘密は流運の15歳から30歳までの運命式にあります。
人に対する対外的な表現、自分の愛情に対する自分表現が共感と共鳴思考になっているということです。


だから、人に対する時に彼の涙はもっと増幅してしまうのです。
自分には厳しさと、自分を相手に分かってもらおうとする彼の運命式が流させる涙といえます。

これは、自然に計算できている彼一流の武器です。これが自然にできてしまうというところが織田信成さんの凄さなのです。
織田信長公も凄かったけれど、その子孫の信成さんも自分の武器をちゃんと使いこなせるところはさすがです。

 

●・・・ひとこと・・・

相手を知るということも重要ですが、自分をどう知ってもらうかということはもっと重要です。そのために自己表現があります。これは、相手にどう伝わったかということです。日本人にかけているのは、その相手に伝わる表現ということだと思います。それが出来る織田信成さんはやはりただ者ではないということだと思います。

 

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中日を首になった巨人の吉川大幾!

まず日刊ゲンダイ 8月5日の吉川大幾さんの記事を見てみましょう。
■中日を戦力外の吉川が活躍 改めて問われる落合GMの“眼力”

坂本の穴を埋めた吉川(C)日刊ゲンダイ
「急に決まったけど、勇人さんの代わりをしっかりできたと思います」

 ヤクルトを下して首位に返り咲いた4日の試合。ヒーローインタビューに呼ばれた巨人の吉川大幾(22)は緊張した面持ちでこう言った。

 

 ゲーム差なしで迎えた首位攻防戦。試合前の練習中に腰痛を訴えて欠場した坂本に代わって、急きょ「7番・遊撃」の先発メンバーに指名された。「突然だったので、逆にすんなり(試合に)入れた」との言葉通り、2安打1打点の活躍。中でも、ヤクルトに1点差に迫られた直後の七回無死一、三塁で放った左前適時打は、「貴重な1点? 自分でもここで点が入れば大事な1点になると思った。結果にこだわって打席に入りました」と自画自賛である。

 

 大阪・PL学園から10年のドラフト2位で中日に入団。「立浪2世」と期待され、その先輩がつけていた背番号3を与えられた。が、中日では通算34試合の出場で28打数4安打(打率.143)と芽が出ず、昨年のオフに戦力外通告を受けた。

 

「クビを切ったのは、落合GMです。確かに、二軍でもなかなか結果が出ず、練習態度に問題があるとの声もあった。それでも12年にスイッチヒッターに転向し、ようやくそれが形になってきた矢先のことですからね。高卒4年で見限るのは早計だろうとの意見がチーム内にはありました。

 

そもそも、入団時にドラフト2位での指名にゴーサインを出したのは当時の落合監督ですからね。どっちにしても、どこを見てたんだ、という話です。堂上剛裕(30)だってそうですよ。パンチ力は中日でもトップクラスだったのに、吉川と一緒に戦力外。育成で拾った巨人ではちゃんと戦力になっているじゃないですか」(中日OB)

 

 その落合GMが編成トップを務める中日は最下位に低迷。この日のDeNA戦に敗れて、借金は「15」に膨らんでいる。まれに見る混セの輪にも加われず、蚊帳の外状態。編成の失敗を指摘する声も少なくない。

「巨人に来た時から、どんな形でもチームに貢献したいと思っていた」

 最後に少しだけ表情を崩した吉川のインタビューを落合GMはどんな顔をして聞いたのだろう。

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◆吉川大幾さんどんな運命式?

タイプ21-24:情熱的に目的集中すると同時に人の和、人の輪を作るタイプ

<吉川大幾さんの運命式>

21  9 12
18 24  6
21 15 18

<吉川大幾さんの30歳までの流運>

 9 15 22 21
15 15 21 18

 

■吉川大幾さんの運命式の特徴
◆運命式は吉川大幾さんをどのように導いたか?

まず中日ドラゴンズで!
大阪・PL学園から10年のドラフト2位で中日に入団。「立浪2世」と期待され、その先輩がつけていた背番号3を与えられた。が、中日では通算34試合の出場で28打数4安打(打率.143)と芽が出ず、昨年のオフに戦力外通告を受けた。

 

中日では宮崎フェニックス・リーグ途中に名古屋へ強制送還され、その後、秋季キャンプ中の10月30日に戦力外通告。理由として練習態度の問題などがささやかれた。実際、秋季練習打ち上げの10月27日には谷繁監督から約30分間にわたってグラウンドで説教される一幕もあった。

 

その後、育成で巨人に拾われる。2014年、10月30日に球団から戦力外通告を受けた。その後11月14日、読売ジャイアンツと契約を結んだ。年俸550万円で、背番号は68

それから、上記の記事にあるような活躍。

 

★運命式から見た吉川大幾さんの資質

野球の技術面とか野球人としての資質、能力という面では門外漢なので分からないところが多いのですが、運命式的にはプロのスポーツマンとしてはいい運命式をしていると思います。
<吉川大幾さんの運命式>

21  9 12
18 24  6
21 15 18

 

それは、情熱的ということ。一途ということ。超目的指向ということ。
創意工夫があるということ。人の和もとれるということ。

これらが運命式の中にみんなはいっているからです。
野球は個人プレーでもありますが、チームプレーでもあります。
そういう意味からすると、いい要素がいっぱいあります。

問題点は集中する自分の目的が明確でない時や迷いがある時は、創意工夫が返って試行錯誤の悩みになります。
結果もそうですが、自分がどんなプレーをすべきかが分かれば安定すると思います。落合さん結論出すのが早すぎたのですね!

 

★吉川大幾さんの首になった理由?

吉川大幾さんが戦力外になった理由は、
素行にあると言われている。

主に噂された、
吉川大幾の素行の悪さは、
寮の門限を破る、
練習に遅刻する、
怠慢に思えるプレーをする、

などがあったそうです。

これらは、吉川大幾選手の流運を見てみると納得がいきます。


<吉川大幾さんの30歳までの流運>

 9 15 22 21
15 15 21 18

この時の運勢は、一途さと調子の良さ、適当さなどが一緒の運勢としてありますから、周りから見ると一生懸命やることがただのふりしてると思われてしまうことにつながりかねません。

 

■首にした落合博満GMはどんな人?

先ずは、落合博満GMの運命式を出してみましょう!
<落合博満さんの運命式>

タイプ36-42:自分の評価に気を遣い、知識や情報を集めて細かく知的に気配りをしながら、物事に柔軟に対応するタイプ

30 18 30
24 42 18
36 24 30

 

この運命式からいえることは、細かく人を分析していてへらへらと柔軟に対応しているようで、その実自分流を曲げないということです。
ここらあたりが「オレ流」ということなのでしょう!

逸材を見誤ったのではなくて、時間をかけて成長を見てあげる余裕がないという中日の台所事情があったのではないでしょうか?
まあ、それでもオレ流なのですが・・・。

●・・・ひとこと・・・

人生とは不思議なもので、人の判断の積み重ねなのですが、その人の判断はその時々の状況とその人の思想性によって決まるのですが、しばしば自分の意図したことと違う結果が出てしまうことがあります。


しかし、後から考えてみるとそれで良かったのだと言うことにもなります。
これは、人の目と神の目は違っているということです。
人の目で最善を尽くすというところを神の目は見ているのだと思います。

 

 

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星野仙一さんのリーダー名を考える

2018年1月4日に他界をした野球人・星野仙一さんの名前を判断してみよう

●星野仙一さん
<星野仙一さんの運命式>

タイプ15-26:きまじめで着実であると同時に、策戦的思考するタイプ

21 20 25
10 26 16
15 6 17

 

★星野仙一さんの全体像
心霊数15、本性26ですから非常にまじめで、作戦家ということが言えますし
性格的には人のことをよく考えるやさしい思いやりがあります。

仕事数が25ですから、自分の仕事についてはどんなことをしても結果をちゃんと残します。そういう運勢をもっています。

 

人気数が21ですから、人に対しては激しく思い入れが強く、情熱家であり一途になります。

まとめると、非常にまじめで作戦的でもあり、理屈かでもありますが、仕事はきっちりと結果を出す力を持ち、人には情熱的な人ということが言えます。

 

★運命式を裏付けるようなエピソード

<本性26を彷彿とさせるエピソード>
中日監督時代より数多くの激しい抗議をしていたが、元セ・リーグ審判員の谷博によればほとんどがファンを盛り上げるための演技で、審判に断りを入れてから開始していたという。監督として中日(4回)、阪神(1回)、楽天(1回)合わせて6度の退場処分を受けている。現役時代はなし。

 

良い監督の条件を「担当記者との緊密なコミュニケーション」としており、番記者との朝食会・昼食会を頻繁に行い、コーヒーやオムライスなどを振舞いながら長時間雑談するのを常にしていた。週刊誌は「マスコミを味方に付けた状況判断と手際のよさは天才的」と評し、工藤健策は「プロ野球史上最高の『名優』」と評する。

 

<仕事数25の運勢を表すエピソード>
これは、表彰をみれば分かるでしょう!
表彰
沢村賞:1回 (1974年)
月間MVP:2回 (1975年9月、1977年8月)
正力松太郎賞:2回 (2003年、2013年)
パ・リーグ最優秀監督賞 (2013年)
報知プロスポーツ大賞特別功労賞 (2003年)

 

<人気数21にみるエピソード・中日監督時代>
山本昌は入団4年目まで一軍登板4試合、0勝だったが、入団5年目の1988年2月、業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、若手選手5人と共に野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになる。

 

実情は中日がドジャースとの交流関係を保つために選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれていたが、星野は山本については「手足は長いし、体も大きい。本場アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という一抹の期待を掛けられてのものだった。

 

山本はベロビーチで腐りかけていた野球への情熱を取り戻し、先発陣の柱に君臨、防御率1点台で1A のオールスターにも文句なしで選ばれた。帰国後に5勝を挙げてリーグ優勝に貢献。その後200勝を達成したほか、最多奪三振、最優秀防御率、沢村賞など投手タイトルのほとんどを獲る大投手となった。その他、今中慎二や川上憲伸も早い時点で先発ローテーション投手に抜擢しセ・リーグを代表する投手に育てている。

 

中村武志は1986年のシーズンオフにはフロントの整理対象選手に挙げられていたという。
星野は、ドラフト1位選手でありながらわずか高卒2年での戦力外に納得いかず、当時のバッテリーコーチの加藤安雄(倉敷商業高校、明治大学の後輩)に「壊れてもいいからとにかく練習させろ」と指示した。
中村は2001年のシーズンオフに移籍するまで、中日の正捕手として活躍した。

●・・・ひとこと・・・

人は運命式に導かれるようにその人生を歩むことになります。
また、運命式が人を作るということもできます。
どちらも相対的なつながりで作り出される人生という製品です。
自分の運命式をみながら、自分というよりよい製品作りを目指しましょう!

ここに文章が入りますここに文章が入ります。

 

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柔道・阿武教子さん

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■4年目の逆転劇ー2004年アテネオリンピックにはドラゴンがいた
ー78キロ級金メダリスト・阿武教子ー
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どうしても僕には書かねばならないことがあった。

それは
日本のお家芸、柔道のことです。2000年のシドニーオリンピックの柔道について二人の選手の結果を取り上げました。
一人は阿武教子選手、もう一人は井上康生選手です。この二人の選手の内、今回は阿武選手を取り上げました。その当時の記事をもう一度見てみましょう!

■悪魔の30秒 女子柔道―阿武教子

タイプ22-30:霊的な直感や霊的な影響力を受けて、自分中心のリーダー性が変化するタイプ

<阿武教子さんの運命式>
19 16 27
11 30 19
22 14 22

阿武選手のアトランタでの悪魔の30秒は何故起こったのでしょうか?

それは、彼女の運命式のバランスにすべてが物語られているのです。オリンピックと言う特殊な環境の中に、彼女の運命式のバランスは崩れてしまったのです。

それは、余りにも個性の強い星を持ちすぎているからです。先ず、心霊数は22で霊的な環境の影響をすごく受けちゃいます。愛情数も22で、常に自分が愛されていると言う実感が必要です。
仕事数は27で自分の使命を果たそうとの思いが強いのです。

これに対して、本性は30で、親分型、自分が一番と言う強烈な主体性があるのですが、自分の周りの個性が強すぎるために、本性の30が心霊数、愛情数の22をコントロールできないで、30が飲み込まれてしまったのです。

……最後にこう結んでいます……
   
シドニー五輪では、彼女は78キロ級代表に選ばれました。世界選手権を連覇した彼女が、1996年のアトランタでの二の舞を踏まないためには、オリンピックという22に彼女の30が飲み込まれないことが大切です。彼女の30が22をコントロールすることを祈るばかりです。そのためには、オリンピックというドラゴンを味方につけてしまうことです。

結果は2000年シドニーでもドラゴンを味方につけることができずに、初戦敗退だったのです。

■2004年アテネ五輪では、78キロ級ー金メダル! やっと輝いた!

アテネでの金メダルの理由は?
名前分析学的には、もちろんドラゴンの心霊数22を味方につけたからです。実力的には世界チャンピオンですから問題はないはずなのです。

今回は、前2回のオリンピックと何が違ったのか?

本人曰わく「答えようがない。どの大会も同じように練習してきているから」
アテネオリンピックは「いろんな人が応援してくれるけど、負けたらいけないという気持ちになってしまう。・・・今回は五輪を特別しないところから始めた」

★この2004年アテネオリンピックでは、2回のオリンピック敗退の経験から何を学んだのか?

以前の記事にはこう書いてあった。
……愛情運は22、心霊運も22で、常に自分が愛情の中心にいなければいけないのです。それでいて、気分によって自分が変化してしまうのでいざと言う時の自己コントロールが難しいのです。……
   
自分では「五輪を特別視しないように!」と勤めてきても、いざその時になると、自分の中のドラゴンに負けてしまうのです。
こういう22を2つも持つ特殊な運命式を持った阿武には、何よりも大切なのは周囲のサポートが普通の選手以上に大事になるのです。

このアテネオリンピックは、初めて練習相手の兄貴宏さんが同行、妹との会話もふやしたりと、阿武の崩れやすいバランスをたもつのに周囲のサポートは必死だった。

アテネオリンピックでは、阿武の過去2回のオリンピック初戦敗退の苦い経験と、今回特別な厚いサポート体制で、初戦からドラゴンが暴れるのを沈めるのに成功した。
そして、金メダルに!・・決勝という金メダルがかかった戦いで、もう一つ22を沈めることができたのは、準決勝戦のルブラン(フランス)との戦いが大きい。この戦いを延長戦で戦い抜き、勝利したことである。

もしこの準決勝で一本勝ちでもしていたら、彼女の中の30と22が”金メダル”という意識のしすぎからすぐにバランスを崩していただろう!

ところがこの準決勝で延長戦にもつれ込んだ。これが彼女の中の30と22には幸いした。二つの動物がこれによって協力することができるようになったのである。
二つの動物が互いの敵に向かって照準を合わせたとき、阿武はその最強の力を発揮したのである。・・金メダル!

<自分の中の方程式>

阿武選手の場合は、自分の持つ特殊な運命式をコントロールできなくて、苦しんできた。実力という力を出し切ることができるかどうかは、自分の持つ運命式をどのように運用することができるかということにかかっている。

このオリンピックで、阿武選手は自分の中の「30と22」をどうすればコントロールできるかを学んだに違いない。もし、阿武金メダリストが自分の力であったと思うようになれば、
彼女のドラゴンは再び反旗を翻すことになるであろう!

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プロゴルファー青木功さん

■青木功さん

●青木功(wikipediaより抜粋)

1942年8月31日(71歳)出身地:千葉県我孫子市
身長180cm 体重80kg 血液型B型

優勝回数:通算84勝 <国内57勝・海外7勝・国内シニア8勝・海外シニア9勝・海外グランドシニア3勝>
初優勝
日本男子: 関東プロ (1971年)
米国男子: ハワイアン・オープン (1983年)
賞金王日本ツアー賞金王1976年 1978年から1981年
賞金ランク最高位日本男子: 1位 (5度)米国男子: 34位 (1983)

 

青木 功 (あおき いさお、1942年8月31日 - ) は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。日本プロゴルフツアー永久シード保持者。1980年に全米オープンで準優勝を果たすなど、尾崎将司、中嶋常幸と共にAON (エーオーエヌ) と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位である。

 

★青木功さんの運命式

タイプ14-18:人情的な人のつながりの中で、策戦的思考するタイプ

13 12 17
9 18  9
14  6 10

<青木功さんの流運>
17 13 13 17 17 13 13 17
10 14 14 10 10 14 14 10

 

●青木功(wikipediaより抜粋)

中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
最も遅咲きのゴルファーとしても有名で30も半ばにして突然強くなった。それまでは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。

 

1964年、二回目の受験でプロテストに合格。
1965年、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー・デビュー。
1971年(29才)、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー初優勝。
1973年、国際興業配下の日本電建と所属契約締結。
1975年、マスターズの前座試合「パー3コンテスト」で、米国籍外選手として初の優勝。


1976年、初の日本ツアー賞金王。
1978年から1981年にかけて、4年連続で日本ツアー賞金王。
1978年(36才)、「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝。同年、宏子夫人 (チエ夫人) との再婚を発表。
1980年、全米オープン準優勝。4日間「帝王」ジャック・ニクラスとラウンドし、死闘を繰り広げた。


1981年、正式な米国レギュラーツアーのライセンスを取得。マスターズ「パー3コンテスト」で二度目の優勝。
1982年、米国レギュラーツアーの賞金ランキング122位。日本人初のシード権を獲得。


1983年、ハワイアン・オープンで、日本人初の米国PGAツアー優勝。欧州PGAツアー「ヨーロッパオープン」優勝。
1989年、豪州ツアー「コカ・コーラクラシック」優勝。世界四大ツアー (日米欧豪) 優勝を達成。


1992年、米シニアツアー (現在の名称は「チャンピオンズ・ツアー」) に主戦場を移し、同年の「ネーションワイド選手権」にて初優勝。
1994年から1997年にかけて、日本シニアオープンゴルフ選手権競技4連覇を達成。


1997年、青木功ジュニアクラブ発足。以後、ジュニアの育成にも力を注いでいる。
2001年、米シニアツアー「フォードプレーヤーズ選手権」にて、通算1,000試合出場を達成。
2004年、日本人男性として初の世界ゴルフ殿堂入り。
2007年、最終日に65をマーク、エージシュートを達成し逆転で日本シニアオープンゴルフ競技を10年ぶりに優勝。2002年のキャッスルヒルシニアオープンで鷹巣南雄が樹立した「59歳4カ月」を6歳近くも塗り替え、「65歳2カ月」で大会を制した。


2008年、秋 紫綬褒章受章。11月9日の鬼ノ城シニアオープン最終日、最終ラウンドを66で周り、2度目のエージシュートを達成した上、優勝を果たした (プレーオフ、4ホール目にて) 。
2010年、同年2月より1ヵ月間、日本経済新聞社朝刊にて「私の履歴書」を連載。
2010年、5月9日、慈善ゴルフ、ザ・レジェンド・チャリティーで66を記録し、3度目のエージシュートを達成した。

 

★ここまで記事は、プロゴルファー青木功さんの仕事数17が結果成就型、物事の形をなすという運勢を持っていることを物語っています。それと同時に、青木功さんのタイプは人情的で人のつながりを大切にして、細かく物事を考えて策戦を立てられるということです。


そういうところが運命式に出ています。人のつながりを作りながら細かく策戦を立ててそれを結果に結びつけるということができる。その技術力を持っているということがプロゴルファー青木功の強さといえます。でも、その強さを導き出すもう一つの秘密が運命式にあります。

 

それは・・・

鷹巣南雄の紹介で王貞治と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手の鑑にする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る。

 

尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。

人気数が13で心霊数が14ということは、人に対してリーダー型で積極性があり、人とのつながりや人情を大切にするということ。

 

気さくで開けっ広げな性格で知られる。米国ツアー参戦後も英語が上手く話せないながら、笑顔やボディランゲージを含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。ゴルフ界以外の友人も多く、ビートたけしのことを「たけしさん」ではなく「ビートさん」と呼ぶ、数少ない人物でもある。

 

グレグ・ノーマンと親友である。グレグ・ノーマンはゴルフ界でもアスペルガー的な性格で知られ、奇行や人見知りが有名であまり交友関係を持たないのだが、二人は本当に仲が良く、青木が左肘を故障した際には主治医の紹介やリハビリについてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた 。

 

口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説においても、フランクな口調が特徴。

プロテストの受験費用は競輪で稼いだ。

 

★プロゴルファー青木功さんが花を咲かせるようになってきたのは、王貞治氏と親交を結ぶようになってきたからだということです。これは、青木功さんの運命式が人によって影響を受ける、人から生きるヒントや道を教えてもらえる。人との関係の中に自分作りの運勢があるということを物語っています。

 

もう一つ、青木氏のベランメー調と自信と強気と一見無造作に見える明るさはどこから来るかというと、彼の流運の運勢に負うところが大きいと言えます。

 

★青木功氏の人生の中で一番のポイントは、30才くらいから45才くらいまでの間に自信と攻めのゴルフ(しかし、とても作戦的)で基盤の築きました。
でもその背景には、彼の運命式の一番のポイントは人に恵まれたということです。その人をつないではなさない運勢をプロゴルファー青木は持っているということなのです。

(監修 遠山快空)

 

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