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すべてのことには原因があります。種なくして花も咲かないし、実もみのりません。
原因があって、ある結果や結論というものが出てきます。
陽陰姓名術(姓名判断)という変な名前にも原因があります。原因は"空海さん"なのです。
"何で空海さんが原因なの?"思われると思いますが、空海さんが出発点になったことは、私にとって間違いのない事実なのです。
私が空海さんに出会ったのは、1984年の東映制作の「空海」と言うことではありません。それよりズーと以前のことなのです。
どうして陽陰姓名術(姓名判断)を始めたのか? 何でですか? どうしてこんな事始めたのですか?
会う人ごとに良く聞かれます。それで、私はこう答えることにしています。"空海さんが教えてくれたのですよ!"そう言うと、聞いた方は不思議な顔して"ふーん?"と首をかしげて、それで話は終わります。
"ウソだろう!"どこかで疑問を持っておられる様子が見られます。けれど、これは本当なんです。と言っても、自分だけの体験ですから信じてもらえるかどうかは分かりませんが…………………。 |
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陽陰姓名術開始者 : 遠山快空 氏
●快空の格言日記 |
出生の話
こういう話をするには、ちょっと私の出生から話す必要があると思います。
私が誕生したのは1952年です。と言うことで年齢はばれてしまいますね!
母親は、結婚しても身体が弱かったせいか、子供になかなか恵まれませんでした。そこで、母親はそこら中の神社仏閣に、子宝に恵まれるというご利益のあるところには全部"願"をかけて回っていました。それから、近くの温泉に通っては一生懸命弱い身体を治そうと必死でした。
そして、7年後に懐妊したことが分かったのです。そして、やっとの思いで生まれたのが"この私"なのです。母親いわく「それからの3年間は、瞬きのような一瞬の出来事であった」と述懐しております。
皆様にもそう言った経験はいろいろとあると思います。誰しもこういう小さいときの思い出やら経験というのはあるものなのです。特に不思議なことではありません。
しかし、もう少し私の小さい時に付き合って下さい。
小学生の頃です。突然、原因不明の関節痛に悩まされるようになりました。街の名医に診てもらっても、大病院に行ってもわからず、ついに母親は祈祷師にたのみに行ったそうです。そこでの祈祷と治療はひどいものでした。全身の関節に梅干しをすりつぶしたものを塗り、その上から"お灸"をするのです。その熱いことといったら、子供心に今でも覚えているくらいですから大変でした。今でも、関節のあちこちには、そのときの"お灸"の跡があります。
大きくなると、朝夕に神仏に手を合わす母親に疑問を持って、特に「福沢諭吉」の本を読んでからは、"神仏が本当にいるなら、自分に災いがあるはずだ"と思って、家の中の神様のお札を全部集めて、庭で焼いてしまったこともあります。でもその時は、すぐには何も起こりませんでした。
しばらくしてから不思議な夢を見たのです。人間の何倍もの大きさの"真っ白いキツネ"が家の前の道を、神社の方から歩いてくるのが見えたのです。それで怖くなって、すぐに玄関を閉めて鍵をかけました。しかし、その"真っ白い大きないキツネ"は、お構いなく玄関いっぱいになって、入ってきたのです。"どうしよう、どうなるんだろう!"と、ふるえていました。
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