「すべて離婚からはじまった」
結婚前から国内の某大手生命保険会社の本社で働いていた。金融機関専門の法人営業に配属されて担当先は大手の銀行だった。
バリバリのキャリアウーマンを気取っていた。夫と結婚したのも、仕事を続けるために家族として強力を惜しまない,という約束があったからだ。仕事も家庭もとても順調だった。共働きで、世間から見たら良い生括をしているように見えたかもしれない。たしかに、そんな時もあった。
しかし平成12年12月12日の離婚時には蓄えは底をついていたのだ。
なぜ蓄えを使い果たしたか、理由をいえば愚痴になるので言わない。よく、女性向けの離婚手引き書(?)には、夫の財産を自分名義に変えておく手法や慰謝料のぶんどり方(?)
が出ているがそれからはほど遠い環境にいた。
とにかく夫とは他人になりたかりたし、職もあったから、離婚しても何とかやれるような気がしていた。しっかりとしたヴィジョンがないまま、ただ感情が突っ走っていたんだと、今になれば思う。でも、私は焦っていた。
今まで、数多くのクライアントのライフプランをファイナンシャルプランナーとして作成してきた,もちろん、自分と夫のライフプランも出来ていたし、それにあわせてのファイナンシャルブランも完璧だった。
しかし、それは順調に夫婦の関係が続くことが前提であった。
保険屋の言う「万が一の時の備え」は、死亡や病気、リタイヤ後の備えであり、女性が離婚した時の想定など端からないのだ。住宅購入時に現金はつかってしまったし、年来の特別控除を受けるがために両名義にしたマイホームとローンは悩みの種となった。
とりあえす、私が家を出て行く事になったが、新居に移るにも全てに現金が必要だった。
仕方がないので、自分の加入する保険をすべて解約したが日本社の生命保険はあくまで長期契約を前提に運用される商品であり、戻ってきたのはわずかな解約金とみじめな思いだけだった。
女性にとっての万が一の時の備えとは、何だろう?例えば、専業主婦が離婚をしたとき公的年金はどうなる?そして一般の生命保険を夫の名義で加入していたら?
今まで先にも留めなかった疑問が心の中に噴出し出した。
現在は、個の時代になったのだ.通り一遍のライフサイクルではない.他人のまねをしたところで同じゴールは待っていてはくれない。
私のやりたい仕事はそれだ、と思った。
即行動が信条だった私は早速勤めていた日本社を退職した.高額の掛け捨ての死亡保障を売らなければ評価されない現在の日本社システムでは、自分の夢を実現できないという思いがそこにほあった。
外資系保険会社の代理店として独立開業したのは平成13年7月のことだった。
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