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夢
それからです。夢でうなされるようになったのは!
不思議な夢を見るようになったのです。
うなされるのは自分では覚えていないのですが、皆が"何だかとってもうなされていたよ"どうしたの"と言うので、うなされているのだろうと思います。その証拠に夢の後は、ものすごく疲れるのです。
それはいつも夢の中で、何かに、誰かに追われ続けているのです。追いつめられて、追いつめられて、危ないところで夢が覚めるのです。そして、しばらく平穏な日々が続くと思うと、また何か分からないものの声に、追われ追われ続けるのです。最初は崖っぷちや、谷の吊り橋、今にも転落しそうなところを追われます。走って逃げれば、その後から道が消えていくのです。
そんなことが何年も続くと、その次には難しい数式を解くように迫られます。数字の持つ意味を解けなどと難問が出されて、追われます。山や谷を逃げながら答えを出さなければならないのです。もし、答えを出さなければ、その場で殺すと脅されます。それは恐ろしい声がするのです。
そう言う追われ続ける夢を見続けると、だんだん寝るのが怖くなります。
何年かたったあるとき、いつものように床につくと、またあの夢を見ます。いつものようにまた逃げています。山から谷へと吊り橋を渡り、海へ出ます。吊り橋は渡る瞬間から崩れていきます。この数字を解けないなら命はないぞと迫られます。そして、もう絶体絶命の時、真っ暗な中に、海鳴りの音、波の音だけが聞こえる真の闇に向かって、思わず叫びました。
"いったいあなたは誰ですか?"
真の闇の中いっぱいに声が響き渡りました。"こんはい!"
確かにそう聞こえました。そして、すぐに夢から解放されたのです。この"こんはい"と言う声は何だろうと忘れることが出来ずに、心に留め置きました。不思議なことに、この夢を最後に、もう追われ続ける夢は見なくなっていたのです。
その後仕事が忙しくなり、夢のことはすっかり記憶の外にありました。
占いは仕事柄、興味があったと言うよりは、使っていました。宝飾関係ですから、どうしても"魔よけ""幸運"など、宝石の持つ大きな伝統的、歴史的な意味が大切になってきたからです。
それで、少しづつですが、いろいろな占いや東洋哲学的なことは研究していました。ある時、仕事でアメリカにしばらく滞在していたときのことです。日本との食習慣の違いにとまどいながらもやっとなれてきた頃です。ボストンの近郊都市にウースターというところがあります。
とってもいい街ですが、そのダウンタウンを歩いていたときです。突然、心臓の鼓動が速くなっていったのです。普通に歩いているのに、心臓だけが速くなり苦しくなるのです。ついにその場でうずくまってしまいました。たまたま通りがかった家族がアンバランスカーを呼んでくれたおかげで助かったのですが、おかげで1週間入院して日本に帰りました。病気はどうも、高円宮様と同じであったかかもしれません。
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