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●自分の滑りでメダル目指す(2010年3月の時点の記事)

自分の滑りでメダル目指す(2010年3月の時点の記事)

狩野 亮(かのう・あきら)さん
バンクーバーパラリンピックアルペンスキー狩野 亮
1986年北海道生まれ。2008年岩手大学を卒業、エンターテインメント企業のマルハンに入社。 09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。
ワールドカップカナダ大会の滑降3位。
  車イス・スキーヤーとして、4年前のトリノパラリンピックに出場。
回転で27位という成績に終わり、一度はどん底に突き落とされた。バンクーバーでは、その雪辱を期す。
「自分の滑りを出し切ることができれば、メダル争いの自信はある。これまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」 父親がスキーの指導員をしていたので、3歳からスキーを始めました。
小学校3年生で事故に遭って下半身不随となり、それまで趣味程度だったスキーを競技として始めたのです。

 前回のトリノでは、自分の甘さを知りました。
精神、肉体、意識のすべての面において次元が低かった。
銀メダルを取った先輩を見て、「このままじゃダメだ。自分もメダルが欲しい」と痛烈に思ったのです。
あの大会を機に、より真剣に競技と向き合うようになりました。
そうした意味では、トリノがスタート地点で、今回のバンクーバーは通過点ですね。

 就職活動では、スキー競技を続けさせてくれる企業に入りたいと、自分で作った資料を130社以上に送り、思いをぶつけましたが、話を聞いてくれたのは、4、5社ほど。
その中で、「情熱にひかれた」と私の思いを受け止めてくれたマルハンに縁あって入社し、パラリンピックに出場することになりました。

 日本の障がい者アスリートは、チーム独自でスポンサー探しをすることから、海外に比べて、トレーニングセンターなどの施設面、優秀なコーチといった人材面、それに資金面でもまだ環境は不十分です。
そうした問題がクリアされれば、日本が世界最強のチェアスキーチームになれる可能性もあると思います。

 天性のものですが、私は色々な困難も「壁」と思わない性格。
「何があっても、それが狩野亮であり、その人生だ」と思うので、常に「何が起きても受け入れる」という姿勢でいます。

 スキー競技という打ち込むものを見つけたお陰で、自分自身、成長させてもらい、人間も変わりました。
自信もついたし、社会への目の向け方、内面の優しさというものが身につきました。

人は、何か一つ真剣に打ち込むことを見つければ、得るものは必ずある。
まずは「前向きに、楽しく、とりあえず何でもやってみよう」という姿勢が大切だと思います。

 トリノから4年。出来る限りのことはやってきたので、自分がどう変われたか、滑りを見てほしい。すべてを出し切れば、必ず結果はついてくると信じています。(談)
(2010年3月2日 読売新聞)
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■人々が希望を持つのは、挑戦するという勇気
「バンクーバーパラリンピック アルペンスキー代表
1986年北海道生まれ。2008年岩手大学を卒業、エンターテインメント企業のマルハンに入社。
09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。ワールドカップカナダ大会の滑降3位。」

こんな経歴を見れば元々スキーができて、恵まれた環境の人だったからだろうと誰もが考えます。
でも、ハンディーを背負いながら、誰も理解してくれないような中で挑戦し続けるというのは凄いことなのです。
誰でもできないことをやっているからこそ、多くの人は応援を惜しまないのです。そこに自分を投影するからこそ、熱が入るのです。

ハンディーと思っているのは自分自身かもしれません。多くのアスリートはハンディーではなくて挑戦課題と考えていると思います。
みんなが応援したくなるような、そんな狩野亮さんを運命式的に見てみたいと思います。

★狩野亮さんの運命式をみてみよう
タイプ19-30:リーダー的自分を中心として、知識情報を集め、細かく知的に気配りするタイプ

<狩野亮さんの運命式>
21 20 29
10 30 20
19 10 21

狩野さんのアスリートとしての意志の強さはどこから来たのでしょうか?
小学校3年の時に事故で足が動かなくなってから、それでもスキーというスポーツに活路を見いだしたのは、単なる環境の性ですか?
お父さんがスキーの指導員をしていたからできたということでしょうか?

環境を利用してでも自分の主体性で、自分の道を見いだす強さというのは、狩野さんが自分を創造していく中で見いだしたものだと思います。
でも、その可能性は運命式の中にすでにありました。
本性30の明るい性格と主体性、そして心霊数19の自己の分析をする情報と智恵です。

そして人気数21の人に対しての情熱性は、あまりにも一途な世界があります。
決してアスリートの仲間に負けたくないという強い力は、運命式がもたらしたものです。

ただそれらを上手く使うことのできる自分を創ったところに、狩野亮さんの凄さがあります。
「就職活動では、スキー競技を続けさせてくれる企業に入りたいと、自分で作った資料を130社以上に送り、思いをぶつけましたが、話を聞いてくれたのは、4、5社ほど。その中で、「情熱にひかれた」と私の思いを受け止めてくれたマルハンに縁あって入社」

というところは、まさに狩野さんらしいということがいえます。
現実に困難な状況というのは変わりません。でも、それを自分の天性のものとして受け入れるという明るさは、これも本性30の狩野さんの運命式だからです。
自分の人生観で、次のようにいわれています。

『私は色々な困難も「壁」と思わない性格。「何があっても、それが狩野亮であり、その人生だ」と思うので、常に「何が起きても受け入れる」という姿勢でいます。』

本性30はそれを受け入れる自信があるからです。また挑戦するという姿勢を常に持っているからです。それが凄いといえます。

こういう人はどんな境遇でも必ず成功を勝ち取ることのできる人だと思います。
本性30の挑戦力、心霊数19の自分がどうすればよいかという智恵と情報の分析力を持っているからです。
ただ、あまり自分を気にしすぎるとそれが負担になってしまいます。
オリンピックでの成績如何にかかわらず、その生き方そのものが希望を与えてくれます。
●・・・ひとこと・・・
人の価値は元々無限大の価値を持っています。それを有限にしてしまっているのも自分自身ということです。
ただ人は自分を信じられないのです。自分を信じていないことが、自分自身の障害になっています。

実はどんな運命式でも悪い運命式というのはありません。問題はその運命式をどのように運用するかということなのです。
その運用には自分がどんな可能性を持っているかということを正確に知るということが必要になります。


名前の分析と解説

サッカー
日本代表監督
西野朗
西野監督は、選手時代も監督時代もやはり天才的な働きをしていることは誰もが知っているところです。
日本代表監督に西野監督デビューは、2018年4月7日、ヴァヒド・ハリルホジッチが突如として日本代表監督を解任されたところから始まります。(古い記事ですがお楽しみください)
カーリング女子
銅メダルの秘密
(2018年平昌Olympic)
ピョンチャンオリンピックで脚光を浴びて人気が出たのは、カーリングですね!
そのカーリングが何故面白いかということなのですが、それは競技の持つ性質というか模様です。
まるで将棋や囲碁のように、相手をとったり陣地を追い出したりなど戦略や作戦が息詰まる戦いぶりが選手にも観客にも分かるからです。
バンクーバー
パラリンピック
アルペンスキー
狩野 亮
09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。
ワールドカップカナダ大会の滑降3位。
  車イス・スキーヤーとして、4年前のトリノパラリンピックに出場。
回転で27位という成績に終わり、一度はどん底に突き落とされた。バンクーバーでは、その雪辱を期す。
「自分の滑りを出し切ることができれば、メダル争いの自信はある。これまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」
元巨人
150キロ右腕
うどん店に転身
元巨人の150キロ右腕が歩むセカンドキャリア なぜ“うどん店”に挑んだのか?
2000年に巨人の19歳高卒ルーキーとして颯爽と1軍デビューを飾り、その後もイケメンのリリーフ投手として活躍した條辺剛(じょうべ・つよし)氏。
右肩を痛め24歳の若さで現役引退後、本場・香川県でうどん作りを1年半修業し、2008年に埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺」をオープンさせた。
いまや人気店として知られている。
羽生善治
(永世7冠)さんと
羽生結弦さん
羽生善治(永世7冠)さんと羽生結弦さんの運命式は全く同じ
2017年12月5日、将棋界初の永世7冠となった羽生善治さんの名前と羽生結弦さんの運命式を判断してみよう!(2017年の記事)
星奈津美
渡部香生子
平井伯昌水泳コーチ
星奈津美 渡部香生子 平井伯昌水泳コーチ
メンタルと技術そしてコーチ!
メダルに届く人とそうでない人の違いを、メンタルと技術とコーチの観点から分析してみました。
中日を首になった
巨人の吉川大幾!
(2014年の記事)
まず日刊ゲンダイ 8月5日の吉川大幾さんの記事を見てみましょう。
今は(2020年)巨人を首になった。
https://www.chunichi.co.jp/article/14916
https://hochi.news/articles/20201225-OHT1T50291.html?page=1
4年目の逆転劇
金メダリスト
阿武教子
2004年アテネオリンピックにはドラゴンがいた。
ー78キロ級金メダリスト・阿武教子ー
どうしても僕には書かねばならないことがあった。
それは 日本のお家芸、柔道のことです。2000年のシドニーオリンピックの柔道について二人の選手の結果を取り上げました。 一人は阿武教子選手、もう一人は井上康生選手です。
プロゴルファー
青木功さん
青木 功 (あおき いさお、1942年8月31日 - ) は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。
日本プロゴルフツアー永久シード保持者。
1980年に全米オープンで準優勝を果たすなど、尾崎将司、中嶋常幸と共にAON (エーオーエヌ) と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。
日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位である。