骨董商 中島誠之助さん
古伊万里染付を世に紹介・骨董商 中島 誠之助さん
江戸っ子だ。さっぱりした性分に唐草文様はよく合ったのでは、と聞くと「合ってたねぇ。安かったしな」と破顔一笑
人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの中島さんは、港区南青山に構えた名店「からくさ」で古伊万里染付(そめつけ)を扱い、広く価値を知らしめた人だ。以下は展覧会を機にうかがった、骨董(こっとう)商として“いい仕事”をした一代記――。
◆プロフィール
1938年、東京生まれ。茶道具の目利きだった父・文吾氏の店を手伝い、骨董商の道へ。68年、まず最初の店を持った。
■目指したもの
私が主体としたのは18世紀後半から19世紀前半、市民文化が爛熟(らんじゅく)したころの古伊万里染付です。優れた器はあるが、食器の世界。展覧会を開いて頂けるようになるとは夢にも思わなかったね。着眼する人はわずかで、人によっては「幕末の雑器」と一くくりにしていた。父の世代まで「型物」と呼ばれる贈答用の優品でないと、古伊万里と言わなかった。
1938年、東京生まれ。茶道具の目利きだった父・文吾氏の店を手伝い、骨董商の道へ。68年、まず最初の店を持った。
本当は桃山の茶陶や中国の陶磁を扱いたかった。しかし力がないと立ち入れない世界でね、利益を得るのが難しい。
70年にはこれじゃいかんと店を壊した。若かったんだねえ、大黒柱をノコで切り倒して。天井が崩れてきたよ。在庫も換金して旅に出た。主に美濃地方で、業者や市場を回った。すると自分の知らなかった、あらゆる古物市場がある。それが転機となって、染付が目に留まった。
■古伊万里染付
なぜ染付かというと、一番商売になるわけだ。安くて無数にある。そばちょこを段ボール1箱3万円で買ったら、200個以上入っていたこともあった。ただし、私が地方の市場や業者から集める時、茶会席で使える道具という基準線があった。
父が茶道具商だからね。めりはりが利いて、間の取り方がいいもの。中島っていう若造の買うものはきれいだと言われたね。
仕入れた2000点を元に76年、「からくさ」を開店。正札・現金取引など新たな発想を打ち出した。
お客さんの顔を見て、値段を言うのも一つのやり方です。しかし雑器と呼ばれた古伊万里染付だ。発想を転換しないといけない。店の造りは銀座のテーラーを研究した。同業者は出入り禁止。逆に婦人雑誌の料理欄の担当者と知り合って、器を使わないかと。雑誌が出ると全国から注文の電話が来た。たちまち軌道に乗って、700日連続で売れ続けた。
だんだん一流の業者までが古伊万里染付を扱うようになったね。だから私は手を引いたんだ。テレビに出始めて、ただで見てくれ、なんていう人も来るようになったので2000年で店を畳んだ。
店舗とは別に、鑑賞陶磁も扱ってきた。先月14日死去した収集家で、戸栗美術館理事長の戸栗亘琉(とおる)氏にも名品を納めている。本展覧会もその縁による。「たこ唐草文瓶」など100点余りは茶道具仕込みの目で集め、手元に残った名品だ。
■格がない人には売らない頑固さ
高買いして、売れなかったもの。だからいいものだ。私は格がない人には売らなかったしね。ただし正直に言うと、たこ唐草は下手(げて)なもんです。いいものは1000点に1点ですよ。そこを分かった上で、たこ唐草なり、古伊万里に取り組んで欲しいよね。中国や桃山時代という原点を勉強して、もう一度古伊万里染付をやると、見方が深くなります。
戸栗さんにはいいものだけお見せしていました。訳の分からないもの、薄汚いものはだめで、お互いさっぱりしていたから合ったんじゃないか。お世話になった方だし、寂しいよ。しかし、人間誰にでも別れは来る。男ってのはベタベタしちゃいけない。だから私は悲しまないよ。(2007年11月16日 読売新聞)
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■頑固さと情熱はお父さん譲り
「本当は桃山の茶陶や中国の陶磁を扱いたかった。しかし力がないと立ち入れない世界でね、利益を得るのが難しい。70年にはこれじゃいかんと店を壊した。若かったんだねえ、大黒柱をノコで切り倒して。天井が崩れてきたよ。
在庫も換金して旅に出た。主に美濃地方で、業者や市場を回った。すると自分の知らなかった、あらゆる古物市場がある。それが転機となって、染付が目に留まった。」
自分の目指すものにここまで頑固になるのかと、ここまで情熱的になれるものかと驚きたくなる世界だ。だからこそ、目利きの世界で第一人者になれたのではないかと思う。
その中島誠之助さんの運命式を見てみよう!
■中島誠之助さん
タイプ27-37:自分に対する結果や形、スタイルを中心として、自分の価値観、考え方にこだわるタイプ
<中島誠之助さんの運命式>
24 14 30
14 37 26
27 23 33
<中島誠之助さんの流運>
1815 1824 1824 1824
2118 2118 2118 2118
中島誠之助さんの運命式からは、
社会的な性格は、心霊数27と本性37でしっかりとしたこだわり、頑固さ、自分の世界を持っていて、その中にあらゆるものを当てはめてみる尺度があります。
そして仕事数30は、自分が一番でリーダー的な強い運勢を持っています。ですから、この頑固でこだわりの性格と強い仕事数30では、自分一人の見識で仕事をしていくのに向いています。
しかも、流運を見ると、安定した運勢のある流運の流れなのです。人気数24は人と関わりを持つ運勢もありますし、とてもいいのですが、流運の心霊数21の激しい性格がでてしまいます。こだわりと自分を守る世界がしっかりとあるのに、それを実現するのにあまりに極端に激しさが出てしまうのです。それが、良い意味で回転しているのが、中島誠之助さんです。
これはお父さんの力を引き継いでいるといえるでしょう!
■父・文吾氏の運勢
■中島文吾さん
タイプ15-25:自分の価値観、考え方の中で、着実にきまじめに活動するタイプ
<中島文吾氏の運命式>
21 14 18
11 25 14
15 11 21
<中島文吾氏の流運>
1815 1824 1824 1824
1218 2118 2118 2118
◆本性がよく似ている
親子二人の運命式を並べてみると、本性がよく似ていることが分かります。文吾氏が本性25、誠之助氏が本性37と価値観重視の二人の本性は意味的に同じなのです。
これは鑑定という価値を評価する仕事ではとても重要なことです。
良い意味で、相続が行われやすいということでもあります。
ただ文吾氏の方は仕事数が18でもう少し、静かで作戦を考えながら進めていくのに対して、誠之助氏は仕事数が30で思いっきりの良い明るくリーダー的な、氏が言われるように「江戸っ子」的な気っぷのいい仕事の運勢を持っています。
そういう違いはあっても、本性の持つ頑固、こだわりの世界は文吾氏も誠之助氏も同じなのです。
■商売のうまさ
「お客さんの顔を見て、値段を言うのも一つのやり方です。しかし雑器と呼ばれた古伊万里染付だ。発想を転換しないといけない。店の造りは銀座のテーラーを研究した。同業者は出入り禁止。逆に婦人雑誌の料理欄の担当者と知り合って、器を使わないかと。雑誌が出ると全国から注文の電話が来た。たちまち軌道に乗って、700日連続で売れ続けた。」
■格がない人には売らない頑固さ
「高買いして、売れなかったもの。だからいいものだ。私は格がない人には売らなかったしね。ただし正直に言うと、たこ唐草は下手(げて)なもんです。いいものは1000点に1点ですよ。そこを分かった上で、たこ唐草なり、古伊万里に取り組んで欲しいよね。中国や桃山時代という原点を勉強して、もう一度古伊万里染付をやると、見方が深くなります。」
本性37の自分に対する頑固さというのは、凄いプライドにも通じる。そういう頑固さと筋を曲げない価値観のすごさをしっかりと持っているところが、かえって信頼を骨董の世界では築くのに役立ったはずです。
その頑固さがありながら、人気数24は人の中で人のつながりを大切にしていくということから生まれます。骨董という特殊な世界にいるからこそ、この頑固さが財産なのだと思います。それがあるから、かえって人のつながりという人気数24に良い意味で信頼がでたのでしょう!
本来は、頑固さは人のつながりという人気運に影を落とすのですが、価値を決める仕事柄中島誠之助さんの場合はいい方向にでているといえます。
●ポイント
頑固さに通じる価値観は、これからの大きなポイントになります。価値観の幅を広げていく勉強をしていくことで、もっと大きく良い意味で運命式を使うことができるからです。
名前の分析と解説
年収2億の 株トレーダー 村田美夏さん |
東大の経済学部をトップで卒業し、その後銀行へ就職、やがてNO.1キャバクラ嬢となり、現在は年収2億円を稼ぐ株トレーダーという非常に面白い経歴の持ち主です。 |
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将棋界の天才 羽生善治さん |
9か月のホームレス体験をもとに、本名で「ホームレス作家」を刊行。ドキュメント番組などにも出演。東京都在住。 |
作家・松井計さん | 9か月のホームレス体験をもとに、本名で「ホームレス作家」を刊行。ドキュメント番組などにも出演。東京都在住。 |
劇作家・演出家 水谷龍二さん |
1952年、北海道出身。「星屑の町」のほか、芝居では「居残り佐平次」、風間杜夫一人芝居5部作、「悪戦」などの代表作がある。 |
テレビ プロデューサー 中山和記さん |
「天皇の料理番」「さよなら李香蘭」「ヴァンサンカン・結婚」「29歳のクリスマス」「黒革の手帖」――。30年余にわたってドラマ制作の第一線に立ち続ける敏腕プロデューサーは、常に時代の空気を読み解く作品を仕掛けてきた。 |
医師・鎌田 實さん | 諏訪中央病院名誉院長 「あきらめない」「それでもやっぱりがんばらない」などの著書で知られ、諏訪中央病院の名誉院長を務める鎌田實さん。 |
歴史上の人物 後藤新平 |
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。 |
天皇陛下の執刀医 天野篤 |
心臓を動かした状態で行うオフポンプ手術の第一人者。執刀手術数は6500例以上で成功率は98%。一昨年、天皇陛下の心臓手術の執刀医を務めたことで、3浪で私大医学部卒など、実力と学歴のギャップがクローズアップされた。 |
ブータンの 西岡京治 |
西岡氏は、日本がブータンと外交関係を樹立する前の64年、JICAの前身組織から派遣された。 農業が技術的に遅れていた当時のブータンでコメの品種改良や野菜栽培の普及、農業機械化などで献身的な活動を続け、食料自給率と生産性を向上させた。 |
骨董商 中島誠之助 |
人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの中島さんは、港区南青山に構えた名店「からくさ」で古伊万里染付(そめつけ)を扱い、広く価値を知らしめた人だ。 |