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●架空の世界で「リアル」追求(2010年2月時点の記事)

架空の世界で「リアル」追求

テレビ
プロデューサー中山和記さん(なかやま・かずき)
  長崎県出身。共同テレビ専務、同エグゼクティブ・プロデューサーなどを経て、共同テレビ系列の番組制作会社バンエイト社長。ドラマのほか、映画や舞台のプロデュースも手掛ける。著書に「ワイルドサイド」。

「天皇の料理番」「さよなら李香蘭」「ヴァンサンカン・結婚」「29歳のクリスマス」「黒革の手帖」――。30年余にわたってドラマ制作の第一線に立ち続ける敏腕プロデューサーは、常に時代の空気を読み解く作品を仕掛けてきた。
ジャーナリストを目指して入学した早稲田大で、学生運動に傾倒した。「校門前で当局糾弾のビラを配り、教室でオルグ。不眠不休で常にフラフラ」。優の数が足りず、新聞社の受験はかなわなかった

■教師を辞めて
  たまたま2級教員免許を取っていて、卒業後は埼玉県内の女子高教師に。しかし、「高い志もない自分が教師でいいのか」という思いはぬぐえず、1年もたたずに辞めた。

 程なく、学生時代にアルバイトをしていた喫茶店の主人から紹介された映画会社に入り、制作進行助手としてドラマの世界に足を入れた。「要するに何でも屋」。あいさつの仕方が悪い。用意した飯がまずい。そんな理由でカメラマンや照明助手から手や足が飛んだ。

 高熱を押して働き続け、急性肺炎に胃腸障害を患い、ぜんそくも併発した。発病から10年たった頃発作で意識を失い、生死の境をさまよったこともある。  30歳を前にテレビ制作会社へ移ったが、先の見えない世界に見切りをつけようと、30歳になっていったんそこも辞めた。

 だが、フィリピン・ミンダナオ島のジャングルに潜むゲリラの取材を知人から頼まれ、現地で別世界とも思える過酷な日常を目の当たりにした時、再びドラマ制作への情熱がわいた。自分は架空の世界でリアリティーを追う。その決意が固まった。
 「時間よ、とまれ」で文化庁芸術祭優秀賞を得たのが1977年。96年には日本映画テレビプロデューサー協会のエランドール賞も受けた。

 数々の受賞と重なって、多くの出会いもあった。渥美清もその一人。手がけたドラマの岐阜ロケが終わって打ち上げも手締めになった頃、出演していた渥美が突然「(都内にあった)自宅に帰りたい」と言い出したことがある。

 時間は既に深夜。理由は聞かず、約500キロの道のりをタクシーに同乗して付き添った。後日、渥美に長男が誕生したことを知る。「出産に間に合いたくて、夜を徹したんでしょう」  共同テレビの子会社「バンエイト」の社長となった今も、数こそ減ったがドラマへの情熱は衰えない。春に手がけた「本音バナナ」(フジテレビ系)は、来月には第2弾が放送予定だ。  「ドラマを見ることは別の人生を疑似体験すること。これからもいろんな人生を提示したい」(小間井藍子)(2009年9月14日 読売新聞)
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■自分がドラマの主人公のような人
「ジャーナリストを目指して入学した早稲田大で、学生運動に傾倒した。「校門前で当局糾弾のビラを配り、教室でオルグ。不眠不休で常にフラフラ」。優の数が足りず、新聞社の受験はかなわなかった。」

「「天皇の料理番」「さよなら李香蘭」「ヴァンサンカン・結婚」「29歳のクリスマス」「黒革の手帖」――。30年余にわたってドラマ制作の第一線に立ち続ける敏腕プロデューサーは、常に時代の空気を読み解く作品を仕掛けてきた。」

こんな実績をみれば、すごい人だからと思うのが当たり前だ。その通りすごい人なんだろうけど、それは、自分から目指したというわけではない。こんなところに人生の不思議さがあるが、その不思議さを地でいっているともいえる。 こんな歩みをしてこんな生き方をどうしてしたのだろうか? 運命式の中にその彼をひもとく鍵を見つけることができるかも知れない。

★中山和記さんの運命式をみてみよう!
タイプ22-25:霊的な直感や霊的な影響力を受けて、自分の価値観、考え方の中で理解するタイプ

<中山和記さんの運命式>
17  7 15
14 25 11
22 18 21

<中山和記さんの流運>
1817 2321  917 2321
1513 1918 1513 1918

中山和記さんの運命式から見えてくることは、心霊数22から自分の人生を自分で作ってきたというよりは、自分の人生に自分が身を任してきたということである。そのことが結果として様々な実績を残すことになったといえる。
それは、すでに学生運動に走ったときからその影響が見える。 心霊数22は感性に敏感、本性25はどこか自分にこだわる頑固さと守りの姿勢がある。
中山和記さんという方の偉いところは、心霊数22に従って自分に素直であるということだ。このことが結果的に自分の感性を磨くことになる。 打算と欲望で世の中をはかり、人生を計っていないということだ。それが素晴らしい。

本性25は自分の考え方や価値観が固まってしまいやすいので、これが感性にはマイナス要因になることもある。 しかし、この心霊数22の導くままに自分の考え方を探ってきた。そういうところが凄いということである。 そして、考え方が決まった。 ] 「自分は架空の世界でリアリティーを追う。」

心霊数22から来るインスピレーションに本性25の価値観、考え方が決まれば、もうそれからは、迷いはないはずだ。 でもその考え方が自分のものになるまでの時間が財産になったと思う。 数々の実績は、その重荷に耐えてきたという結果であろう。

●・・・ひとこと・・・
この方をみていると、運命式という自分の可能性を自分自身が使いこなしていることが分かる。どんな高級車を持っていてもそれを乗りこなしていなければ、高級車の意味がないのだが、運命式も同じだ。

どんなに可能性のある運命式を持っていても、それを自分が使いこなさなければいい人生には決してならないことと同じだ。そのポイントは自分に素直になることだ。こねくり回しても決していいものは生まれない。


名前の分析と解説

年収2億の
株トレーダー
村田美夏さん
東大の経済学部をトップで卒業し、その後銀行へ就職、やがてNO.1キャバクラ嬢となり、現在は年収2億円を稼ぐ株トレーダーという非常に面白い経歴の持ち主です。
将棋界の天才
羽生善治さん
9か月のホームレス体験をもとに、本名で「ホームレス作家」を刊行。ドキュメント番組などにも出演。東京都在住。
作家・松井計さん 9か月のホームレス体験をもとに、本名で「ホームレス作家」を刊行。ドキュメント番組などにも出演。東京都在住。
劇作家・演出家
水谷龍二さん
1952年、北海道出身。「星屑の町」のほか、芝居では「居残り佐平次」、風間杜夫一人芝居5部作、「悪戦」などの代表作がある。
テレビ
プロデューサー
中山和記さん
「天皇の料理番」「さよなら李香蘭」「ヴァンサンカン・結婚」「29歳のクリスマス」「黒革の手帖」――。30年余にわたってドラマ制作の第一線に立ち続ける敏腕プロデューサーは、常に時代の空気を読み解く作品を仕掛けてきた。
医師・鎌田 實さん 諏訪中央病院名誉院長 「あきらめない」「それでもやっぱりがんばらない」などの著書で知られ、諏訪中央病院の名誉院長を務める鎌田實さん。
歴史上の人物
後藤新平
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。
天皇陛下の執刀医
天野篤
心臓を動かした状態で行うオフポンプ手術の第一人者。執刀手術数は6500例以上で成功率は98%。一昨年、天皇陛下の心臓手術の執刀医を務めたことで、3浪で私大医学部卒など、実力と学歴のギャップがクローズアップされた。
ブータンの
西岡京治
西岡氏は、日本がブータンと外交関係を樹立する前の64年、JICAの前身組織から派遣された。
農業が技術的に遅れていた当時のブータンでコメの品種改良や野菜栽培の普及、農業機械化などで献身的な活動を続け、食料自給率と生産性を向上させた。
骨董商
中島誠之助
人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの中島さんは、港区南青山に構えた名店「からくさ」で古伊万里染付(そめつけ)を扱い、広く価値を知らしめた人だ。