一言コラム集・命名編(10)
占い一言コラム集は遠山快空(陽陰姓名術「天使の占い」の生みの親であり、 遠山球希の師匠)の格言日記の中で述べている「一言居士」をピックアップした ものです。占いをする立場の者の姿勢や占いに対する考え方の基本的な考え方をストレートに述べています。 皆様方の何かの参考になればと思いここに記しました。
※いちげん-こじ 【《一言居士》】 何事によらず必ず何かひとこと言わなければ 気のすまない人。
◆人には心もあり、体もある。だから心と体のバランスをしっかりと取っておかないと、自分が自分をコントロールできなくなり、病気となってしまう。命名も同じだ。どんなに画数を考えて運命式を善くしても、そこには様々な意味が隠されている。その善い世界を引き出すには、運命式の運営の仕方が問題になる。運命式の用い方が心ということだ。親子関係を善くすれば自然と運命式の用い方が善くなる。 ◆命名をすると、不思議なことに所有権が生まれてくる。実はこれは所有権ではなくてリレーションによる影響を与える権利というべきものだ。監督官庁の主管権とよく似ている。直接の当事者ではないのに、あたかも当事者であるかのようになるのである。名前は本人のものなのに、親が命名するということは、親に主管権が生ずるというものなのだ。だからこそ命名には名前をつけられる子供以上に親に責任があるといえる。 ◆赤ちゃんの名前を考えてみたときに、その命名には集中的に親の想いが集約された結果が反映されているということだ。初心忘るべからず!というようにその時の想いをいつまでも継続して赤ちゃんを見続けることだろうと思う。だから、「〜ちゃん!」などと呼ばずに、正式にわが子の名前を呼んでみると親の方が誕生の原点にかえることができるはずだ。それが素晴らしい子育ての原因になる。 ◆命名というのは、「名を命ずる」というものであるが、これは名前というものが実に大きな権威を持っていたことがわかる。実は誰に向かってその名を命じたのかということなのだ。そこが問題だ。名をつける本人に向かっての「命名」では本当はないのだ。それは、その名を司る諸々の精神世界に向かっての宣言なのである。だから、命名は厳粛なものといえる。 ◆命名することは大きなエネルギーを必要とする。そのエネルギーが善のエネルギーであることが必要なのだ。そのエネルギーが深いほど命名には大きくて深い命が宿ることになる。だから名前には想いという力がある。そう考えてもいいと思う。だから力のある名前は忘れることができない。 ◆命名で一番やっていけないことは、親の思い込みで名前をつけてはいけないということである。確かに親の願いは子に託することができる。それが親であるということなのであるが、子にはその人生の所有権あるはずだ。そこで、願いを託する名前にしてもできる限り運命式のバランスをよく考えなければ、名前をせおって苦しむのは子供である。 ◆命名というのは、人間だけが行える特権である。だから、その命名には様々な意味と人間が織りなす心模様が反映される。名前に隠されたエピソードというのは、その人物の人生という業績がでたときに、やっぱりあの人の名前にはこんな秘密があったんだって!ということになる。それは名前に隠された運勢を引き出す当人の努力があった結果なのである。 ◆命名というのは、その時の運勢が支配をするものだ。だから、命名する親の立場では、いろいろと名前の候補を出すのだが、それ以外に思い浮かばないとか、この字だけにこだわるとか、後から考えると何でだろうということがある。実はそういう命名をした場合、往々にして親子が闘う名前になっていたとか、弱すぎてしまうようになっていたとか、問題が出るようになっていたのだ。そういう意味では「天使の占い」に依頼した人はそういうくびきから解放されている。 ◆命名には、親の器が表れる。だから、命名するというのは親が自分で決めているとその器の中でしかないから、その器で考える運勢は普通はだんだん小さくなっていってしまうことが多い。だから、昔の人は自分よりも器の大きい人に命名者になってもらうことで、子供達に将来の夢を託したということがいえる。そういうことから考えると「天使の占い」は、大きな器を準備できる最も近道かも知れない。 ◆命名で気をつけなければならないことは何かというと、子供の運勢ばかり気にしてしまうということだ。そうすると見えるものまで見えなくなってしまう。子供は親が育てるということだ。運勢が育てるのではない。運勢というのは、親と子で作り上げるものだからこそ、親と子がそんなつながり方をするかということが大切になる。だから、親子の関係まで見た命名ということが本当に子供の運勢を考えるということになるのだ。