一言コラム集・命名編(11)
占い一言コラム集は遠山快空(陽陰姓名術「天使の占い」の生みの親であり、 遠山球希の師匠)の格言日記の中で述べている「一言居士」をピックアップした ものです。占いをする立場の者の姿勢や占いに対する考え方の基本的な考え方をストレートに述べています。 皆様方の何かの参考になればと思いここに記しました。
※いちげん-こじ 【《一言居士》】 何事によらず必ず何かひとこと言わなければ 気のすまない人。
◆命名にはその時の流行がある。だから、みんながどんな名前をつけているんだろうと心配になるのは当たり前だ。それで、つい回りの人の命名に関心を持ってしまう。同調主義だ。芸能人のような名前が流行になっているとみんなが芸能人のような名前になっていく。すると個性を持たせたようで、個性が埋没することになる。みんなが茶髪をすれば目立たなくなるのと同じだ。命名は本来そうではない。愛情が命名に表現されていなければ名前をつけた意味がない。 ◆駆け込み命名というのがある。明日届け出の期限というとんでもないときに依頼してくる駆け込みの命名だ。え〜!と驚いてしまうのだが、それよりも、結局悩んで考えた結果どうにもならなくなってプロに観てもらおうということになったのだなと思っている。それだけ親の想いや愛情が大きいのだろう!本当は胎教の時から名前を考えておくというのが、赤ちゃんにとっては一番いいことなのだが・・・。その方が親にとっても精神的に安定するはずだ。 ◆名前というのは実は運命というよりは運勢を運んでくるものらしい。昔の話だが、赤ちゃんの名前・名前の届け出にいった。その時どういうわけか戸籍係が間違ってカタカナで付けてしまったということもある。役場のカウンターに立ったときに急に漢字を変えてしまって命名したという場合もある。でもそれで人生の舵取りが変わってしまったというのは本当だ。もし最初の名前だったら自分はこんな生き方をしなかったかも知れないという心残りはあってはならないことだ。 ◆時は金成という。命名は千金の値を持つ。どうしてか?運命式には宝物がいっぱい詰まっているからだ。といっても宝物に到達する地図が書いてあるのだが、その地図を便りに自分が宝物を探すのが人生ともいえる。そういうものだ。命名とはそういう可能性を付けてあげるということを忘れてはならない。 ◆命名というのは親であれば、誰でも悩むのが当然だ。それは、その名前を男の子であれば一生使うという前提があるからだ。女の子であれば、少なくとも嫁に行くまでは使う名前ということになる。ましてずーと付き合う名前が自分の生き方に影響があるとすれば、責任を感じてしまうというのも当たり前だ。それが不思議で、親子関係が悪かった人は、実は親子関係が悪くなるような名前を付けてしまうのだ。いろいろと考えられるはずなのに、そんな名前しか浮かんでこないというのだ。だから命名というのは霊的なものといえる。 ◆命名では親の意向が大きく働く。それはそうだろう!自分たちの願いや期待を次世代に託するのは当然といえるからだ。ただ、歴史的な要請が違う。時代は家や家名を守るためというところから個人の持っている可能性を最大限に生かすところに向かっている。そのことが国家や全体に貢献することになるからだ。そこに必要なのは家族の愛情である。個人の資質・運命式を活かすにも家族の愛情交流という相性がなければ運命式のパワーは埋もれてしまう。愛情が命を守るということにつながる。 ◆命名でいまだに吉とか凶という数字にこだわっている方がいる。そもそもそういう人達は、何が吉で何が凶なのか、どうして吉と凶が決められたのかということなど知るよしもない。それでいてどこかの本にはそう書いてある。どのサイトを見てもそうなっているという。一般に吉と凶は市井の人々に安易にわかってもらうための方便で始まったものだ。それも明治期からだ。それでも、吉と凶を宗教みたいに信じ込んでいる人がいる。しかしそのレベルで赤ちゃんのこれからの運命を決めてしまうのは、あまりにも親としてどうかと思う。長ずるに及んで子供がそのことをどう思うかである。 ◆名前を決めて何がどうなるかということはすぐにはわからない。でも時がたつに従って、様々な影響が出てくるようになる。性格やものの考え方、好き嫌いなどの感情面などにも変化が現れ始める。これらは、遺伝子の影響だと考える人もいるだろう!その遺伝子は、環境によって発現する内容が異なることになる。命名による名前の運命式は、その遺伝子を発現させるスイッチということになる。 ◆名前を決めるというのは、そんなに簡単ではない。でも意外にも簡単に考えている人も多いのが事実だ。名前というのは命名したその時から運命式が始動を始めるということだ。その時から親子の道が続くことになる。それを決めているのが親だということを本当は知って欲しいのだ。 ◆命名で不思議な現象は、考える名前がほとんど同じ傾向に出てくるということである。実は先祖代々親子があまりうまくいってないという家系があるとすると、考えて考えて付けようとした名前が全部家族がぶつかり合う名前であったりなどという現象が起こるのだ。こんな現象を見てみると、ついご先祖にお節介なのだが、仲良くしようよ!喧嘩をしないいい名前がもうすぐつくからねと先祖と赤ちゃんに向かって話す自分がある。