一言コラム集・命名編(6)
占い一言コラム集は遠山快空(陽陰姓名術「天使の占い」の生みの親であり、 遠山球希の師匠)の格言日記の中で述べている「一言居士」をピックアップした ものです。占いをする立場の者の姿勢や占いに対する考え方の基本的な考え方をストレートに述べています。 皆様方の何かの参考になればと思いここに記しました。
※いちげん-こじ 【《一言居士》】 何事によらず必ず何かひとこと言わなければ 気のすまない人。
◆命名するときは、男の子は男のらしく、女の子は女の子らしく、そして家族との交流を考える。最近は女性も社会進出が激しいから、女の子でもちゃんと仕事運を考えて、バランスをとるようにしなければならない。すると男の子は、そういう女の子とは違った意味で、男の子らしく頑張れるようなバランスにしなければならないから、そういう相対的な関係をちゃんとつくることが大変だ。 ◆命名を侮ってはいけない。命名を侮ることは運命を侮るに等しいからである。神は最初の人類のアダムを土から造って、命の息を吹き入れられたとある。命名とはまさに命の息をわが子に吹き入れるようなものなのだ。その時こそ子供と真剣に向き合わなくてどうする。命名には親のエゴを入れてはいけないのだ。 ◆命名するにも様々な要素がある。格数だけを考えればいいというものでもない。また、周りの人間環境でも付けられる名前とそうでない名前が出てくる。そういう複雑の過程の作業から命名は生まれてくるのだが、最後は音の問題になる。やっぱり名前は呼びやすくて親しまれる方がいいに決まっている。軽すぎても いけない。重すぎてもいけない。音の陽陰のバランスはとても大切だ。 ◆命名というものは、人間や物でいうならば人や物の「器」を意味する。その器の種類や大きさ質のレベルといったことが、器の価値を決定する。茶道の茶碗がいい例だ。ただ茶を飲むという行為を文化や芸術のレベルにまで押し上げたのは、日本人の特技だ。その茶碗に価値を与えたのも利休という命名者がいた からだ。子供の命名にいのちの息を吹き込むのは、親のなすべき一番の仕事になる。 ◆命名するときに誰もこの子が将来離婚するかも知れない。などと考える人はいない。当たり前だ。この将来と幸せを念じるのは親の自然な情の発露だ。その動機は素晴らしい。問題はそれを現実化するプラセスを怠けてしまうことから始まる。名前に願いを託すと同時に、その子供の運命式にあった育て方をしてやらねばならない。欲しい物を与えないで嫌なものばかり与えていれば心がねじ曲がってしまうのと同じだ。 ◆命名というのは、すごく人間的なことなのだと思う。多くの生物は親や子供の識別には、ある仕組みが隠されている。そのIDとなるのが、臭いや声なのだ。小さいころにインプリンティングされたことが識別のIDとなっている。人だけは、親子を名前を呼び合うことや字を書くによって確認しあっている。だから命名の背後には、人間の宇宙が隠されていて、その宇宙のつながりを命名は表現しているのだ。 ◆命名するという親の立場になってみれば、迷うことしきりないなるのは頷ける。何故ならば、これで子供の運命だけではなく自分の運命までも影響を受けるからだ。そう考えると決断できないのも当然なのだ。秀吉は豊臣になるまでは勢いがあった。名前は大きな力を持っているからこそ、「天使の占い」は命名に真剣になる。 ◆命名するときは、親も真剣になるが、それ以上にどんな名前がつくか周りの方が興味津々なのだ。その時の気持ちや雰囲気をしっかりと記憶の中に保存しておいて欲しいのだ。それが後から役に立つ。子供にどんないきさつで名前が決まったのか!それほど、皆が一生懸命であったということが、子供には大きな自信と価値を与えることになるのだ。そういうドラマを持たないと人生ではない。 ◆命名にはドラマがある。そういうドラマが大切なのだ。何もなく平凡に命名されたというよりも、自分の名前には命名に至るまでの「物語」があるというのだ。それだけで自分という人間に大きな価値性が賦与されるのだ。そういう物語があると、それによって自分という人間に自信が出てくるようになる。
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