◇戦国の英雄―伊達政宗
■戦国の英雄―伊達政宗
伊達家中興の祖でありながら、戦国から太平の世への橋渡しをした男
■伊達輝宗
タイプ29-41:パートナー型で目的指向を中心として、情報を集めて細かく知的に気配りするタイプ
<伊達輝宗の運命式>
26 18 33
14 41 27
29 23 35
■伊達政宗
タイプ23-35:リーダー的自分を中心として、策戦思考するタイプ
<伊達政宗の運命式>
26 18 27
14 35 21
23 17 29
"伊達政宗"は "不信"が世の中に蔓延しているような中で、"信ずること"の価値を私達に教えてくれる武将です。
○伊達政宗は、1567年8月3日、米沢城内で城主伊達輝宗の第一子として 生まれます。母は山形城主最上義守の長女義姫です。
○結婚の動機は"はい、嫁いで一子を挙げましたら、その子に輝宗の首級を添えて戻ってきます"という、戦国の時代とはいえ、それは凄まじいものでした。
要するに、結婚の動機は政略結婚ですから、とってもよろしくない。ということはあまりいい夫婦にはならないはず・・・・・?
○輝宗夫婦は、羽黒山の行者長海法印に頼んで、亀岡文殊堂に願をかけます。
すると不思議なことに、義姫の夢枕に白髪の僧が立ち、一本の幣束を渡し、これを大切に胎育するように言って消えたのです。
この白髪の僧は、役の行者依頼の神通力を持った万海上人であったというのです。
○こうして万海上人生まれ変わり伝説を仕組んで、この子を人質にしちゃおうというのですからたいしたものです。
ところが、これを本当に信じちゃった輝宗は、すぐに一流の先生をつけて英才教育に入っちゃたのです。
○後の伊達政宗には、当代きっての名僧虎哉禅師を招いて、師として教育がなされました。
こうして、信じちゃった輝宗によって一部のすきまもなく、政宗教育の準備がすすめられる中に、結婚の動機の悪い義姫も、理想の夫婦を演じ ざるを得なくなりました。
○このように、政宗は周囲の絶対的な信仰の上に、虎哉禅師によって厳しい人間教育がなされていくのです。
伊達政宗が、戦国の武将として徳川家康、豊臣秀吉と並べて賞されるのも、こういう周囲の絶対的な信仰の上に、厳しい価値観を持った人間教育がなされたからであります。
○こうして、素晴らしい活躍をするようになる政宗に対して、母義姫の葛藤と苦しみが始まるようになり、それは政宗にとっても乗り越えねばならない母子の戦いでもありました。
"不信から出発した母"と"周囲の絶対的な信仰によって教育された政宗"、この"不信と信の戦い"は、何と母親の義姫が政宗を毒殺しようとする事件にまで発展してしまいます。
これに対して、政宗は母を許します。
このことは"信"が"不信"に勝利したことを意味します。
伊達家が戦国の中で滅びないで大きな力を維持できたのも、このような政宗の精神の勝利があったからです。
しかしながらこの問題は、弟を切り捨てることによって、血族の一致ということにおおきな課題を残してしまうのです。
これが、後々の伊達騒動の遠因になっていくのです。
○もともと、人間は無限の可能性の中に、どんな人も生まれてくるものです。
ただ、生まれてくるのに、環境、位置、立場、事情などが種種異なるだけなのです。
どんな中にあっても、そこにおける教育で人の善悪、優劣が決まってくるだけなのです。
原則にあった正しい知識を与え、信じられた中にそれを生活の知恵として生かすことができれば、立派に人は、仏性?を備えた人格者になって行くのです。
そういう意味で、政宗は素晴らしい人間環境の中に成長していった。と思います。
名門伊達家中興の祖とうたわれた伊達政宗とその父親の伊達輝宗はどんな人となりであったのでしょうか?
その運命式を見てみましょう!
<信仰の人伊達輝宗の運命式>
26 18 33
14 41 27
29 23 35
伊達輝宗は、社会的には目的指向型の性格に細かさ、繊細さが加わります。
人に対しては思いやりがあり、仕事面では常に自分が一番であろうとします。
家庭的には、男らしいのですが、思いこみ型であり繊細です。
こういう輝宗ですから、一度こうだと思い込んでしまったら、何が何でもそれしかありません。
それに結構細かい。こういう輝宗だからこそ、よい意味で信じてしまったのであり、それがまた、大きな力になるのです。
<自分に厳しい作戦家・伊達政宗の運命式>
26 18 27
14 35 21
23 17 29
こういう運命式を持った人物は、ほっておけば自分勝手で、尚且つ自己保身がうまく、手のつけられない人物になるのですが、周囲の信仰によって支えられ、尚虎哉禅師によって人間として、自分に厳しくということを禅を通して教えられ、深く物事を見つめられ、表も裏も思いやれる内容を身につけた政宗は、戦国という不信とだましの世界の中にあっても着実に実績を残していけるようになります。
周囲の人々の素直な信じる心が、伊達政宗という人物を教育し、乱世の中に希に見る英雄を生み出したといえるのです。
もし、この素直に信じる心、愛する心の土台がなければ、この男は自分の欲望のために伊達家とその一族を滅ぼす人物になる可能性は充分にありました。
政宗にとっては、母親との葛藤はありましたが、父輝宗との愛情交流はよくできたのが救いであったように思います。
輝宗は政宗の本質的な優しさ、思いやりに愛情を感じ、政宗は性格的に強い所はぶつかりますが、細かさと気配りには愛情を感じています。
<子を産むときの動機が母としての愛情のあり方と運命を決める>
ここで"不信"という2文字を背負ってしまった母義姫の苦しみを書いておきましょう!
間違った動機で(己の欲望のために)政宗を生んでしまった義姫は、政宗を愛せずにおりました。政宗5才のとき、政宗が疱瘡にかかってしまいます。
この当時、5才で疱瘡にかかれば助かる見込みはほとんどなかったのです。 うろたえたのは母です。これは神罰があったのだと!
ところが、政宗は万海上人のように片目になりましたが、助かってしまいました。
そこで、義姫も一時は"信"を取り戻し、政宗を呼んで次のような話をしたとあります。
「一個の葡萄の実を取り出して、これはこなたの左の目玉じゃ!こなたは、この木に登って落ちたのじゃ、落ちる時途中で枝にこの目が引っかかった。母上、目が出ましたと持参したゆえ、今日まで預かっておいたが、もう返すのはやめます。といって食べてしまったのです。」
このことは、左眼を失った政宗の心中を察し、何とかしたいとの思いと同時に政宗の左眼は自らの罪業が招いた結果であるとし、葡萄にたとえた左眼を食べてしまったのは、その罪業を自分が背負うことを意味したのです。
こうすることで、政宗は母の影響から解放されて、周囲の"純粋な信"の土台の 上に教育を受けていくようになり、母は自らを伊達家の罪業の中に身をゆだね、苦しみを背負う人生を送るようになるのです。
人生において"信の動機"を持つか"不信の動機"を持つかによって運命は大きく変化してしまうのです。
義姫と政宗は、そのことを如実にものがたり、"動機の大切さ"を教えてくれるのです。
■戦国武将の名前分析・天下統一に関わる武将達の名前分析をしてみた。
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