歴史、聖徳太子、空海、平家、源氏、平安時代、北条鎌倉時代、足利室町時代、戦国時代、武士、徳川幕府

◇平和国家をつくった徳川家康

◇平和国家をつくった徳川家康

■平和国家をつくった徳川家康
■松平竹千代時代
運命に振り回されながら十字架を背負った幼少時代

■松平竹千代
タイプ22-27:霊的な直感や霊的な影響力を受けて、自分の価値観、考え方の中で理解するタイプ

<松平竹千代の運命式>
21 13 22
16 27 14
22 14 19

松平家は岡崎に城を持つまでは小さな土豪であったに過ぎません。
その松平家が力を持つようになってから、三河は小国の郡雄がしのぎを削ってきたのです。

この松平竹千代の運命式は、心霊数22と仕事数22で、何とあの武田信玄とそっくりなのです。
このまま行けば、信玄と同じように自分の行いと先祖の悪因縁が現れて、様々な事件が自分の身に降りかからざるを得ない運命を持っているのです。

竹千代は政略結婚の果てに生まれ、下克上の時代に松平家は竹千代の祖父と父との二代に渡って側近の部下に殺されるという運命に出会いました。

実際にこの運命の故に、主君を失った松平家は結局強大な勢力を持った今川に飲み込まれ、竹千代とその家族は人質として駿河の今川家に送られてしまったのです。

◇松平元康時代
天下人への基礎となる資質を蓄積した時代

■松平元康時代
■松平元康
タイプ23-28:リーダー的自分を中心として、策戦思考するタイプ

<松平元康の運命式>
24 13 17
19 28  9
23 15 20

今川の人質として青年時代を送り、ここで今川の軍師から軍略を学びました。
神経質そうな外見とは裏腹に、心霊数23が自分中心的、行動的ですが、それらは本性28の持つ鋭い洞察力、策戦的思考に裏打ちされているため、また仕事数27は結果を残す運勢です。自分が中心となって策戦をしっかりと考え、結果を残す。
人気数24で外交的にはちゃんとつながりを作るという非常に有能な武将であったと思われます。

外交的には相手と和して、つながりを作ることを人気数24は物語っています。
しかしながら彼の運命式にある経済運19と9の人生を無意味にする暗示は、彼をして運命の方向へと導いていきます。
こめままいけば彼のお祖父さん、お父さんと同じように部下によって殺害されるというような人生を台無しにしてしまうという事件が起こったかも知れません。

しかしここで天の助けがあって(信長が今川義元を滅ぼす)松平元康とその一党は岡崎の城へ戻ります。
新しい出発の意味も含めて松平は徳川へと改名をします。
徳川家康が誕生したのです。
これによって歴史は徳川の天下へと将来の出発をしたのです。
まさに改名は人の運命、国の運命までも変えてしまうのです。

このとき松平元康が徳川家康へと改名しなかったならば、彼と日本の歴史は大きく塗り替えられ、徳川265年の伝統もなかったかもしれません。

■徳川家康時代
長尾景虎に近い運命をもって天下み望む

■徳川家康時代
徳川家康が歴史の表舞台に登場してきたのは姉川の決戦(浅井、朝倉連合軍と織田軍の戦い)からです。
このとき徳川軍の強さに信長は助けられたのです。
それからも家康は信長の親類として実によく働きました。秀吉が天下を取ったときも無理をせず秀吉に従いました。

それは家康には大きな目標があったのです。
それは家康の本陣にいつも掲げられていたという旗印がありました。
それは"御離穢土欣求浄土〟 と書かれたものです。
即ち地獄を開放し、地上を浄土にしてみせるということです。
それは岡崎時代に一向一揆によって相当苦しめられたからです。

自分の部下まで一向宗に参加して弓矢をもって向かって来るのですからたまりません。
その中で家康が悟ったことは、自分が一向宗の目的を果してやろうと決意したことです。
彼にはこのように深く物事を宗教的に理解する心があったのです。
それ以後、彼はこの目的のため粉骨細心の働きをしたのです。
彼の平和に対する執念はこのように実戦の中でしっかりと練られていったのです。

それでは何故、家康が秀吉なき後天下を治めることが出来たのでしょうか。
それは彼の宗教的な精神の持ち方に天が味方をしたからです。彼の運命式を見てみると

■徳川家康
タイプ35-38:物事を内面まで深く掘り下げ、戦略的策戦的思考ができるタイプ

<徳川家康の運命式>
28 18 27
25 38 13
35 21 24

<長尾景虎の運命式>
23 15 27
16 35 19
28 20 27

★家康と景虎は実はとても良く似ているのです。
 意味的にはほとんど同じといっていいでしょう!
家康・心霊運35→本性38→仕事運27
景虎・心霊運28→本性35→仕事運27
 違いは、景虎が孤独な命令的リーダー型であるのに対して、家康は家臣との輪を重んじた点です。
これは、組織が大きくなってきたときに大きな違いが出てきます。

●本性38は深慮達媒型で戦術作戦に優れていることを示しています。

●社会的性格は心霊数35、本性38共にで静かで寡黙、何を考えているかわからない深さがあります。

●仕事数27はちゃんとした実績を出して、形を作り上げます。

●人気数28は人間関係、外交、政治においてよく考えて策戦的な外交を展開します。併せて、思いやりもちゃんと持っています。そこが魅力の一つでもあります。

社会的性格との関連を見れば、非常によく考えた深い外交の仕方をします。
人気数28は家康の外交の仕方を見ればよくわかります。
秀吉や光秀など織田家中の武士達の働きの影に隠れてはいても、信長の親類として駿、遠、三の大国の領主としてその地盤を固め、信長の東の砦となり、その蓄えた実力は並ではありません。

姉川での決戦、三方原での捨て身の闘い、甲州攻めでは武田の家臣を徳川の家中に巧みに採り入れ、小牧長久手の関いでは秀吉を実質的に下し、関ケ原などは戦略的には完全なる敗北の陣型をとりながら、あっと言わせる心理戦を展開してこれを勝利に導き、大阪夏の陣、冬の陣では豊臣家の存在を願いながら大量の浪人武士の野望を打ち砕き、戦後処理は徳川による平和実現に向かって、家康-秀忠の見事な相続プレーを成し遂げ、「馬上天下をとるも、馬上天下を治めず」の大逆転をやってのけました。

これらの大業績を残し得たのは、心霊数35、本性38の戦略性と先の先を見据えた深い洞察力の賜と思われます。
この運命式のバランスから、戦略と謀略、そして静かに時を待つ忍耐の政治家という家康像が出てまいります。

次に家庭運ですが、
●家庭格21は情熱型の男性数で、目的行動実行型です。
本性38が深く考えるタイプですから家庭内における性格としては裏付けを持った厳し い言動となります。

●家康の愛情数24は、スキンシップや、人間的な愛情に弱いことを示しています。 人情的に接しられると愛情を感じる人です。

●心霊数35は物事を想いめぐらし、静かに熟慮するとき心にひらめきを感ずるタイプですから、深い戦略性と深慮遠謀は家康のもっとも得意とするところです。

このような家庭運の持つ内容が家康に会う人をして何を考えているかわからない、あまりにも懐の深い世界に接してタヌキ爺と評したに違いありません。
しかしこの家康という人間の運勢があったればこそ、戦国の乱世に終止符を打ち、徳川による太平を築くことができたのです。

"名は体を表す〟、まさにその通りではないでしょうか。私達も自分の運命を変えることは可能なのです。


■戦国武将の名前分析・天下統一に関わる武将達の名前分析をしてみた。

◇織田信長 ■天下への系譜・織田信長
◇木下藤吉郎 ■木下藤吉郎は信長の運命式を変えた
◇今川義元 次の将軍に最も近かった大名
◇斎藤道三 マムシという異名を持った大名
◇淺井・朝倉軍団 近江の名族はこうして滅んだ
◇足利義昭 将軍を返上するための名ばかりの将軍だった
◇明智光秀 信長を許せなかった明智光秀
◇武田信玄
武田晴信時代
父とは異なる方向性を実行
◇武田信玄時代 天倫に背いた結果が自身に及んでしまった
◇前田犬千代から
前田利家へ
犬千代で試練に遭遇し、利家で花を咲かせた
◇織田信長と
前田利家
愛する女性が二人の運命を変えた
◇島勝猛と
石田三成
天下を演出した男たち
◇木下藤吉郎と
秀吉時代
出世魚のように名前を変えることで、天下が舞い込んだ
◇豊臣秀吉 朝廷から豊臣姓を賜って天下が一代に
◇長尾景虎から
上杉謙信へ
宗教家から極度な緊張を伴う知的な戦術家へ
◇伊達輝宗から
伊達政宗へ
親子で創り出した奥州の英雄
◇戦国の英雄
伊達政宗
伊達家中興の祖でありながら、戦国から太平の世への橋渡しをした男
◇徳川家康 長尾景虎に近い運命をもって天下を望む