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◇武田信玄・武田晴信時代

◇武田信玄・武田晴信時代

■武田晴信
タイプ29-34:人を大切にして人の和と人の輪を中心として、知識情報を集め、細かく知的に気配りするタイプ

<武田晴信の運命式>
22 13 25
17 34 17
29 21 26

信玄が晴信と呼ばれていた頃、父信虎の横暴に嫌気がさした家臣達は晴信をかついで、信虎を北条氏へ人質として追い出してしまいました。
そして晴信は父を追い出したあと武田家臣団を見事にまとめ、天下に向かって進み始めたのです。
そして京を目指しつつその途中で病に倒れて死んだとあります。
次に武田家を相続したのは勝瀬でした。結局は彼が武田家を滅ぼしていくのです。

この名門武田家の軌跡をたどってみることにしましょう。
ここにも武田家の運命式の魔力が働いていることに気がつきます。
先ず武田晴信の運命式を見てみましょう。
武田晴信の運命式の特徴は経済数が17で同じです。
これは人生を無意味する暗示があることです。
この暗示を持つ人は人生を左右する重大な事件に遭遇することになります。
事実、晴信は実の父親を燐国の北条氏に出してしまいました。

次に武田晴信の運命式は木下藤吉郎と似ている特殊な運命式を持っているのです。
心霊数29で知的な気配りと情報収集ができ、本性34は人の和を作り、人をまとめることができます。
家臣団の様々な状況を考慮してそれを整理し、人をつないでまとめるということを、晴信はできたのです。
それが信州への進出という方向転換です。
武田の家臣達は皆独立心の強い小領主、豪族の集まりだから、このような武士集団をまとめることは容易には出来ません。人気数22の魔力があったればこそです。

武田氏には当時の戦国に代表されるような山城はありません。
簡単な館があっただけです。
それは甲州が山に囲まれた天然の要害であったばかりでなく、晴信は頑固な人のつながりを作ったのです。まさに 「人は石垣、人は城」というわけです。

晴信は本性的には人の和を大切にする人情的な性格ですが、社会面に現れるときは非常に神経質か細かくて、自分を気にする人になります。
家庭面では、心霊数29の細かさと家庭格21の思いこみの強い主体性が性格となって表れるようになります。
愛情数26は優しさとか思いやりに愛情を感じます。

心霊数29的には非常に細かく神経を使って、いつも緊張状態に置かれています。
この張り詰めた心霊的な緊張感と気配り、そして人気数22の卓越した外交力は武田家の力を大きく広げることに役立ちます。

正妻・三条の方:
晴信の愛情数26は真面目で思いやりの愛ですから、心霊数29の緊張感、家庭格21の主体性、それに経済数ABのバッティング関係から考えると、正妻である三条の娘の強い態度には我慢がならなかったのではないのでしょうか。
これが武田家の運命を狂わせていく大きな原因になっていくのです。

晴信は諏訪一族を滅ぼしてその娘を側女にしてしまいます。
普通に考えても自分の父母を殺した男の嫁になるということは、これは到底考えられない心情の世界です。
このことが正妻と長男太郎の離反、勝頼により武田家の滅亡へとつながっていくのです。
この勝頼は晴信によって滅ぼされた諏訪一族の末えいなのです。まさに因縁を感じます。

この晴信の世界が次に信玄へと移っていくのです。
次に信玄の運命式を見ていきましょう。


名前の分析と解説

◇織田信長 ■天下への系譜・織田信長
◇木下藤吉郎 ■木下藤吉郎は信長の運命式を変えた
◇今川義元 次の将軍に最も近かった大名
◇斎藤道三 マムシという異名を持った大名
◇淺井・朝倉軍団 近江の名族はこうして滅んだ
◇足利義昭 将軍を返上するための名ばかりの将軍だった
◇明智光秀 信長を許せなかった明智光秀
◇武田信玄
武田晴信時代
父とは異なる方向性を実行
◇武田信玄時代 天倫に背いた結果が自身に及んでしまった
◇前田犬千代から
前田利家へ
犬千代で試練に遭遇し、利家で花を咲かせた
◇織田信長と
前田利家
愛する女性が二人の運命を変えた
◇島勝猛と
石田三成
天下を演出した男たち
◇木下藤吉郎と
秀吉時代
出世魚のように名前を変えることで、天下が舞い込んだ
◇豊臣秀吉 朝廷から豊臣姓を賜って天下が一代に
◇長尾景虎から
上杉謙信へ
宗教家から極度な緊張を伴う知的な戦術家へ
◇伊達輝宗から
伊達政宗へ
親子で創り出した奥州の英雄
◇戦国の英雄
伊達政宗
伊達家中興の祖でありながら、戦国から太平の世への橋渡しをした男
◇徳川家康 長尾景虎に近い運命をもって天下を望む